ノートのすみっこ

せつきあの小説置き場

女子会

初出:2016年前後

女子たちの恋バナ会。



 朝凪商店街の一角。
 そこには趣ある一軒の喫茶店がある。
 特徴は、通りに向いた窓ガラスに直接かかれたメニュー。
 人気商品は、マスターの入れたコーヒー。
 集う人間を考えれば、そこはこの光の繁栄と闇の繁栄が同居する街の中心と言ってもいい。
 たとえば、この街の闇を制圧するエース警察官。
 たとえば、世界の闇を駆け巡った元米特殊部隊員。
 たとえば、たった一人で暴力団事務所を潰した少年。
 たとえば、ヤクザも避ける喧嘩と賭事の天才。
 たとえば、世界的オーボエ奏者の後継。
 たとえば、近い未来大流行するバンドのボーカル。
 知る人が聞けば近寄りがたいメンバーだ。
 しかし今夜この喫茶店を賑わしているのは、そんな男性陣ではない。
  彼らを時に支え、時に導き、時に叱り、ひっぱたき、蹴り飛ばし、殴り、時に慰める、彼らの側で笑う少女たちだ。
 日も落ちかけた朝凪商店街の通りに、またガランガランとベルの音が響く。
「こんばんはー!すみません遅れました!」
「あーおっそいよー!あやのんが一番最後なんだからね!」
「えっうそ!?ごめんなさい~ちょっと交番覗いてたら時間忘れちゃって~」
あははっ、と笑い声は高く。香るは主に甘い匂い。並べられるは、色とりどりの料理。
「さぁ!華の少女たちよ!」
エプロンをした女性が、バン!とカウンターに両手をつく。
 そして、ビールジョッキを高く突き上げた。
「今夜は祭りだーーー!!!」

「「「「「かんぱーーーい!!!」」」」」

ガラスのぶつかる音と共に、女子会が始まった。



葵:はい、というわけでー、男共に振り回されまくる可憐で健気な乙女の集い始めていきたいと思いまーす

綾乃&櫻子:いえーい!!

希愛:はーいはーーい!あのさ?あたしも苓とか呼んじゃったし知らない人とかいるし、とりあえず自己紹介と共通して知ってそうな男共の紹介しない?

理音:ああ、たしかに。私もここ二人と葵さんしか知らないし……

苓:私が一番関係なさそうですよねぇ

希愛:そんなことないよ?刹那の友達ってだけで結構繋がるよ?

葵:あ、そういう関係だったの?ちょっと本格的に整理しないと分かんなくなるわね

櫻子:えんじぇう案外友達多いよね~

苓:えんじぇう……?

理音:刹那のことな。

綾乃:あ、じゃー私からいこうかなー?遅刻した罰ってことで!

葵:そう?じゃあお願い

希愛:お願いしまーす

綾乃:は~い!朝凪高校3年の九条綾乃です!さくちゃんと理音ちゃんとは友達で、知り合いの男の子は……刹那くんと湊くんが後輩で、あとは……交番の方々?篠崎さんとか永久さんとか……高山さんとか……

理音:そこの話はあとですればいいんじゃないか?どうせするでしょ

綾乃:えっするの!?

理音:恋バナは鉄板だと思うけど?

希愛:えっ恋バナ!?

櫻子:あやのん絶賛片想い中だもんね~

葵:じゃああとで掘り下げなきゃね

綾乃:えっ?えっ!?り、理音ちゃんが余計なこと言うからぁ~!!

理音:私のせいか……?

櫻子:じゃ~次はその理音ちんで!

理音:ええ……まぁいいけど。朝凪高校3年、高山理音です。知り合いの男……っていうか、まずうちの兄貴が交番の、いわゆる「高山さん」で

希愛:えっうそ!?妹!?

櫻子:あ~

葵:その反応新鮮ね~

希愛:似てなくないですか!?

綾乃:性格はすっごい似てるよ~。ね?

理音:私に同意求めないで。まぁ口の悪さは兄貴譲りだと思うけど……。あとは刹那と湊が後輩で、中学の先輩が永久先輩で、若干椿とも……知り合い……?兄貴の妹って認識だけど

葵:椿が迷惑かけてるわね……

理音:椿と葵さん知り合いなんですか?

葵:まぁね、その話はおいおいしましょ

希愛:高山先輩、雨水中出身ですか?

理音:あー分かりにくいから理音でいいよ。雨水出身なの?

希愛:はい!きっと同じ校舎にいたんですね~

理音:え、あーそうか、私が3年の時の1年か

櫻子:理音ちんも永久さんの話あるよねぇ~?

理音:え~……私はいいよ、べつに……

希愛:えっ永久にぃ?

理音:えっ?にぃ……?

希愛:あ、じゃあ次あたしやる!雨水中出身N高一年片平希愛です!知り合いは、色々あって高山さんにお世話になってるのと、瀬川と同級生なのと

理音:あっ瀬川忘れてた。あのオーボエの瀬川でしょ?

綾乃:あ~!あの、ここの常連のかわいい子!あれ?じゃあもしかして

櫻子:は~いあやのんそれ以上発言禁止~

葵:その話はあとでのお楽しみね?希愛ちゃん続きどうぞ

希愛:へ?あっはい、あと刹那と生まれたときからの付き合いです

理音:へ!?

櫻子:え!?えんじぇうと!?あの子一匹狼っぽいのに、こんな可愛い幼馴染みいたの!?

綾乃:しかも湊くんと名前一緒……

希愛:えへへ、そこはたまたまなんですけど。本当だよねー苓?あんま喋ってないけど大丈夫?

苓:だ、大丈夫です!ただ、し、知らない方ばっかりなんで、私ここにいてもいいのかなって……

櫻子:だ~いじょうぶだよ~!さくも知らない子いっぱいだもん。ここで仲良くなればいいよ!

葵:そうそう、今夜は無礼講でいきましょ。考えすぎないで?

苓:あ、ありがとうございます……がんばります

綾乃:あはは、頑張らなくていいのに~

理音:ていうか、えと……希愛?刹那と幼馴染みって、じゃあ永久先輩と

希愛:永久にぃですか?よく遊んでもらって、ほんとのお兄さんみたいな存在です!

理音:あ、そうなんだ……それで永久「にぃ」……

櫻子:理音ちん今ちょっと安心したでしょ~?

理音:へ!?いや、べつに……ていうか次櫻子やりなよ

櫻子:えっさく?わかった~!えっとね、朝凪高校3年田中櫻子だよ!気軽にさくちゃんって呼んでね♡

希愛:さくちゃん先輩!

櫻子:そうそう、そんな感じ~!知り合いはねぇ……えんじぇうとー、希亜たんとー高山さんとー永久さんとー……あとせがわっちとー、そんな感じかな?よろしくねっ!

葵:さくの恋バナもしないとねぇ

櫻子:さくの?ふふん、さくちゃんは躊躇ったりしないもんね!どんと来い!

理音:肝座ってるよね櫻子……

櫻子:てゆーかぁ、さくのことよりれいれいのこと聞きたい!もしかしてれいれいハーフ?

苓:れ、れいれい……?

綾乃:さくちゃんすぐにあだ名つけちゃうんだよ

理音:訂正しても変える気ないから、諦めた方がいいよ

苓:あ、そ、そうなんですね。えと、ハーフというか、クォーターでして……あ、自己紹介した方がいいですよね、あの、霜花学院一年の潮巳苓です!

櫻子:クォーターかぁ!かわいい!さく気に入った!

理音:櫻子に気に入られるとはかわいそうに……

葵:霜花なのね、私と一緒だ

櫻子:理音ちん何か言ったぁ!?

理音:あーなんでもないなんでもない。

苓:え、葵さん霜花なんですか?

綾乃:霜花ってお嬢様校だよね?すごーい

希愛:苓んち別荘あって、プライベートビーチがすっごい綺麗なんですよー!

葵:まぁね、苓ちゃんよりうんと先輩だけど

理音:うわ、マジのお嬢様だ。すっご

櫻子:えー行ってみたーい!!

苓:ちょ、希愛ちゃん、なんかすごい話になってない!?

希愛:え?苓んちの別荘綺麗って話だよ

葵:うちも小さいけど別荘あるわよ

綾乃:うそ!どこにあるんですか?

葵:うちは山の方ね。夏は避暑地になるから、今度皆でバーベキューでもしましょっか?

櫻子:わーたのしそーー!!

理音:あ、まって、その前に苓の知り合い聞いてない

希愛:あれ?言ってなかったっけ

苓:あ、そうでした。まず希愛ちゃんと親友で……そのおかげで刹那くんとも仲良くさせてもらってて、あと瀬川くんとも若干……それから槻杷……は、わかりますかね……?

理音:槻杷……ん?槻杷?それ伊野ってやつ?雨水中で一年にしてサッカー部のレギュラーとったっていう

苓:あ、はい!その槻杷です!

綾乃:有名なの?

理音:有名っていうか、めちゃくちゃサッカー上手くて、同じクラスの男子が可愛がってたんだよ

希愛:だってよ、よかったねぇ苓?

苓:う、うん……

葵:槻杷くんって、苓ちゃんの彼氏だっけ?

綾乃&理音&櫻子:彼氏ぃ!?

希愛:そうですそうです!葵さん記憶力いい!

理音:まって……一年に負けたよ私ら……

綾乃:うわぁあん華のJKって誰が言ったの~!

櫻子:全部センセがわるいんだもんねッ!ふんだ!

希愛:だ、大丈夫ですよ、苓がちょっと早いだけですって。マカロンでも食べて落ち着いてください

理音:あ、このマカロンおいしい

綾乃:わたしこのマーブルのにしよっと!

櫻子:あやのん……それおいしいの……?赤と青と緑が渦巻いてない……?

葵:だいたい貴方たちの恋って、揃いも揃って前途多難じゃない

苓:前途多難……ですか?

理音:まぁね、こいつらはね

綾乃:絶対理音ちゃんが一番前途多難だと思う

櫻子:僅差であやのんも前途多難

葵:あの二人に恋しちゃったのが運のつきよね正直

希愛:えーなにそれ気になる!

理音:綾乃、なんで遅れたか話したら?

苓:あ、そういえばさっき交番覗いてたとかって……

希愛:……まさか

櫻子:多分そのまさかだよん

葵:綾乃ちゃん、今高山くんのおっかけだもんねー?

綾乃:あ、葵さんっ……!

希愛:あー……まじか……もしかして誰か永久にぃ好きだったりします?

理音:……

櫻子:理音ちん手挙げなきゃ

苓:あはは、永久さん素敵な方ですもんねぇ、ちょっと会っただけですけど、かっこよくて紳士的で

葵:で、幼馴染み的にどうよ、この恋の行方は

希愛:うーん……高山さんはまだしも、永久にぃは……どうだろう……あの人間違いなく刹那のお兄さんなんで……恋愛観狂ってますよ

櫻子:恋愛観って狂うのー?

希愛:あの二人はまじで訳わかんないです

理音:……たとえば?

苓:希愛ちゃん悩んでましたよねぇ

葵:……え、まって、どういうこと?

苓:あ

希愛:……苓……

綾乃:え?どういうこと?ねぇさくちゃんどういうこと?

理音:綾乃って恋する乙女とは思えない鈍感さだよね

櫻子:理音ちんが少女漫画マスターなだけってこともあるよ~?

理音:なっ……い、いいじゃん好きだって!

櫻子:ダメとは言ってないよ~?理音ちんのそういうギャップかわいい!

理音:く……

葵:それはあとで掘り下げるとして

理音:掘り下げないで!?

葵:今は希愛ちゃんよ、どういうこと?恋愛観が狂ってることで悩むって、刹那くん?永久くん?どっちとそういう関係だったの?

希愛:……えと

苓:言わないなら言っちゃいますよ?

希愛:苓今日ノリノリだね!?あ、あたしがちゃんと言う!!

苓:ふふ、それじゃあどうぞ

希愛:う……あの、刹那と……中学卒業するまで、多分……両片想いで……

綾乃:ええ!?

理音:あーそっちか……

櫻子:えんじぇう好きなことかいたんだ!?

葵:さっきからさくの刹那くんへのイメージ酷いね?

櫻子:それで今は!?

希愛:や、今は全然。普通に幼馴染みです。まあ、そうなるまでに、一年かかったんだけど……

理音:……その話、聞いても平気?

櫻子:聞きたい!

綾乃:ちょ、さくちゃん、そんな楽しそうに聞くことでは

希愛:いいですよ?あたしの失恋話でよければ

葵:じゃあゆっくり恋バナといきましょ。はい、温かいチャイ作ったから喉潤して

苓:あ、運ぶのお手伝いします!

櫻子:おいしそう!葵さんありがとー!

理音:へー、初めて飲むや。匂いがスパイシー

綾乃:飲んだことないの?意外

理音:うちだいたいコーヒーだからね。誰かさんのせいで

綾乃:あ、そっか。えへへ、ブラックコーヒーかっこいいよねぇ~

理音:そうかな……

葵:でも、希愛ちゃん大丈夫なの?幼馴染みと両片想いって、かなり拗らせそうだけど……

希愛:ほら、話したら落ち着くって話もあるじゃないですか?

苓:無理しなくていいんですよ?……はい、希愛ちゃんの分

希愛:ありがとー……ん、おいしい

櫻子:卒業まで片想いで、一年引きずったんだっけ?ふっきれたの最近?

綾乃:わー……頑張ったね

希愛:んーん。よく考えたら昔っから分かってたことだから……今更だなって。あの二人ね、互いに違う方向に特殊なのに、似たような狂い方してるんですよ。去年のクリスマスの話なんですけど――



【12月26日 刹那と希愛】

「もしもし?久しぶり」
 そう口にした希愛の耳に、携帯の向こうから「うん」という声が聞こえた。
「キーホルダーありがとね。これ高いやつじゃん」
『え、うん……まぁ、稼いでるし』
「あの仕事まだしてんの?あたしが言えたことじゃないけど、危険でしょ?死んだら嫌だよ」
『ん、でも、頼りにしてくれてるから。怪我とかしない程度に頑張る』
「うん、そうして。本当変わってないね」
希愛が笑う。スピーカーからは「そうかも」と微かに笑いを含んだ声が聞こえた。
 変わっていない。この先も変わることが無いんじゃなかろうかと思うほど、変わっていない。彼が豹変したのは中学に上がった頃、つまり永久がいなくなったタイミングの一度だけで、そこでひねくれてからは殆んど考え方が一緒だ。
 だから、いつまでもこのままでいいかと思ってしまいがちだけれども。
 変わらなければならないことだってある。
 希愛は落ち着いた口調で、「ねぇ?」と切り出した。
「あたしは刹那のこと大切だと思うけど、いつまでもあたしにかまけてちゃダメだよ?あんたにはあんたの大切な人がいるでしょ?」
電話越しの返答は、『うん』だった。
『兄ちゃんにも言われた。言われた、けど……でも、兄ちゃんも人のこと言えない筈なんだよ』
「どういうこと?」
『んー、多分。俺たちの恋愛観て、ものすごくズレてる。……ねぇ、そっち行っていい?』
「え?いいけど、めずらしいね?」
『ん……会って、話したい。そうじゃなきゃ、怖くて無理』
表情が見えないのが怖い、というやつ。染み付いてしまったどうしようもない恐怖心だ。いいよ、と返すや否や、一旦切るねという言葉と共に音が途切れた。
 希愛はため息をつく。
 こういうところが好きだった、と。
 ずっと一緒にいた相手に、恋を抱いたのはいつ頃か。多分中学に上がった頃だ。
 そのころの刹那はまるで砂糖菓子で、どんなに厳つくて攻撃的に見えても中身は酷く脆かった。学校で取っていた不機嫌な態度はいつしか一匹狼のイメージを作り、無理な振舞いと不機嫌の原因であった心の傷に散々振り回され、毎日のように希愛の家に来てボロボロ泣いていた。両親が海外出張にいっている間は希愛の部屋で寝泊まりして希愛の家から学校に通っていたくらいだ。
 そんな刹那に頼られて、希愛とて悪い気はしなかった。むしろ今まで守っていた相手なのだからそれは当然のように受け入れられたし、学校で無理をしている態度はいじらしくて、自分にだけ弱さを見せる刹那が愛しくて堪らなかった。いなくなった永久の分まで甘えさせようと思うと母性本能のようなものが擽られて、ついでに格好いいよねと囁き始めた友達の女子に優越感を感じたりして、気付いた時にはいつでも刹那のことを考えていた。
 クラスが別れても、学年であつまったりすると目で彼を探していた。放課後に彼が自分を待っていたりすると、思わず顔がにやけた。
 コンコンと、窓ガラスを叩く音で我に返った。
 ベランダのふち、銀髪を揺らす奴がそこにいる。
「普通に玄関から来ればいいのに」
苦笑して窓を開ける。まぁいいんだけど、と返す彼は小さい頃からこうやって希愛の部屋に侵入する。それこそ中学時代は、家に帰ってみたら勝手に部屋で泣きつかれて寝ていたりした。
 はぁ、と手に息を吹き掛ける寒そうな刹那に、何か飲む?と問いかける。彼は少しだけ迷って、首を横に振った。
「……ねぇ、希愛」
「何?」
「……、……っごめ」
へ?声が上擦った。
 ぐ、と引き寄せられる体。触れ合う肌の温度は冷たく。腰に回された両腕の力は強くて、耳にかかる吐息は熱くて。
「……!!!??」
初めてだ。こんなに強く抱き締められたのは。
「もう、しないから。甘えない、から……ちょっとだけ、話、きいて」
「……どした?」
「も、むり……きらいに、なんないで」
耳許で囁かれた声は微かに震えて、希愛は落ち着かせるように腕を背中に回す。
「今さら嫌いになんてなるわけないでしょ?あたしあんたのおねしょだって覚えてるよ」
「……俺も希愛のおもらし覚えてる」
「あたしそれ覚えてないわーハハハ……だからね、今更、あんたが殺人起こして晒し者になったって嫌いになったりしないよ」
ね、と背中をさする。何かがわだかまって、何かに悩んでいるのだと容易にわかった。刹那はそうやって疲れきったときが一番甘えただ。
「ゆっくりでいいから、話してみて。あたし、ちゃんと聞くから。どんな話でも受け止めるから」
うん、と小さく聞こえた。よしよし、とあやすように背中を優しく撫でる。
 刹那は、あのね、と小さい頃のような口調で話し始めた。
「たぶん、おかしいんだ。俺たち、愛されればなんでもいいの。男でも、女でも、友達でも家族でも恋人でも。そこに性欲が混ざったとき、便宜上恋人って名前を変えるだけで、本質はたぶん、かわらない。愛してくれるなら、なんだってする。誰かが望む俺になる。人形でいてくれと願うなら、個性だって捨てていい」
え、と漏れた小さな声は聞こえていただろうか。大袈裟だな、という一言を飲み込んだ。
 プライドが高くて、銀髪と紅目が自慢の彼が、個性さえも捨てるって。
 信じられなくて、口にしようとした言葉が消える。
「その代わり、愛して。監禁するくらいの狂った独占欲でもいいから、縛り付けて。俺が特別扱いするように、一生側にいて。一人でいられないくらい依存して、どこにも行けなくなるくらい俺に溺れて」
――ああ。
「兄ちゃんも一緒だよ。決めた人にとことん執着して、特別扱いして、甘やかして、付け入って、自分に溺れさせるんだ。天才扱いしない人ならなんでもいいの。愛してくれるならなんでもいいの。なんでもいいけど、本当に愛してくれるなら、絶対離さない」
――きっとこんな愛を、重いと言うのだろう。
「ねぇ、希愛。俺……おれ、きみも、はなしたく……なかった」
――そんな愛を心地よいと思える自分は。
「だけど、きみは、おれといっしょじゃ、ない。きみは、……ちがう愛され方が、できるだろ」
「……そうだね。でも、あんたの愛し方も好きだよ?」
「……それは、慣れたからだと思うけど……でも、それしか知らないのはダメだ」
それはそうかもしれない、と希愛は苦笑いした。善し悪しは置いておいて、普通じゃない。
「……、……ほん、とに」
「ん?」
「……すき、だったんだよ」
「……うん」
優しい声が出た。可憐で健気で、泣き虫でがんばり屋で、全然素直じゃない彼が、いとおしくて堪らなくて。その言葉が嬉しくて、未来はないと分かっていても、全部救われたような気がして。
「ねぇ、今生の別れみたいな言い方しないで?あたしたち、家族みたいなもんでしょ。永久にぃがいて、あたしたちが弟と妹で、ちょっとお父さんとお母さんが多いけど、そういう家族でしょ。つらくなったら、いつでも戻ってくればいいじゃん。そういうことでしょ?あんたが言いたかったこと」
平行な二重線。恋人という形をとらなくても、浮気の名を着せられなくても、ずっと繋がっていられる、希愛と刹那だからできる特殊形。
 刹那が顔をあげた。覗き込むように希愛を見て、力なく口角をあげる。
「わかってくれたんだ」
「中2でこんなこと考えてたあんたに驚いたけどね」
「必死だったんだ。どうやったら、君に、選択肢を与えられるかって」
「……うん、ありがと」
抱き締める腕の力が緩む。落ち着いた?と聞けば、彼は黙ってこくんと頷く。
「昨日、怒られたんだ。希愛と希亜を同じ扱いするなって、兄ちゃんに」
「ああ、それでこの話ね」
体を離して、刹那は床に座る。希愛もぽすんと反発を効かせてベッドに座った。
 泣き虫だった刹那が、独り立ちの決意をした。昔から一緒にいる絶対の味方の元を離れ、自分で共にする人を見つけて、道を切り開いて。
 いつか来ることがわかっていたこの時に思うのは、いつかのことを考えて浮かんでいた不安。
 本当に一人になってダメなのは、自分じゃないかと。
「……大丈夫だよ」
見透かしたように、彼は呟いた。
「君のことを必要としてる人は、すぐそばにいるよ」
「え……」
「一人じゃないよ。君が選びさえすれば、共に生きる人はそこにいるから」
必要と、してる人?
 なんの暗示かを問いただす前に、刹那は「お邪魔しました」と立ち上がったのだった。



希愛:……ってことがありましてですね

櫻子:必要としてる人かぁ~……

苓:すぐそばに、ですかぁ~……

希愛:それはよくわかんないからまぁ置いといていいと思うよ?刹那、回りくどい言い方好きだし

綾乃:えっと、そうじゃなくて

葵:そこはそっとしておきましょ。それより考える人みたいになってるそこの彼女じゃない?

櫻子:理音ちーん!生きてる!?

理音:……へ?あ、ごめ……ごめん

苓:大丈夫ですか?

理音:あ……うん、やっぱ……そうなのかなって……

希愛:なんか心当たりあります?

理音:……永久さんて、うちの兄貴と……めちゃくちゃ仲良いよね

葵:あー……気付いちゃったか……

綾乃:え?なに?高山さんがなに?

櫻子:あやのんほんとに鈍感だねぇー?

理音:つまり……恋人じゃなくても、そういう関係……ってことだよね……入る隙なんか、あるわけなかったんだ……

希愛:あ……

理音:うん、いいの。分かってたことだから。先輩が選んだのは、私じゃなくて兄貴だって、分かってたから。多分……私と先に出会っても、結果は変わらなかったと思うし……

綾乃:えっ高山さん!?

葵:じゃあ理音ちゃんが死んでる間に、綾乃ちゃんの恋バナ聞きましょうか?

理音:あ、それがいいと思う

綾乃:え!?

苓:聞きたいですー!

櫻子:そーだ、なんであやのんが高山さん好きなのか知らない

希愛:えっ聞きたーい!!

葵:というわけで、はい、綾乃ちゃん。馴れ初め話。

綾乃:え、ええ~……

理音:妹の私でさえ知らないって問題だと思わない?

希愛:えっ知らないんですか!?

櫻子:これは話すしかないねぇ~?

苓:大丈夫ですよぉ他言はしませんから~

綾乃:う、うう……ええとね、高2の春の話なんだけど……私、携帯を落としたのね――



【4月中旬 綾乃と高山】
 ポケットも、鞄の中も、家も、道も、五回くらい探した。それでも見つからない。
 綾乃は絶望していた。
 携帯を無くしたという事実だけでショックだが、これが親にバレたらどれだけ怒られるだろうかと思うと震える。
 残された道はただひとつ。綾乃は決心して扉の前に立った。
 殺風景なアルミサッシの引き戸の向こうには、きっちりと紺色の制服を着こんだ男性がいる。
 受ける印象は、「真面目そうで、固そうで、怖そう」。
 それでも、ここに頼るしかない。
 綾乃は思いきって扉を開いた。
「すみません!失礼します!」
「……威勢いいな」
開口一番、そこにいた20代前半の男性の返答はそれだった。
「え、あ、ごめんなさい、朝から」
「いや。朝からそれだけ元気ってことは自律神経がきっちり仕事してるってことだ。健康体だな。……まぁ、暑苦しいとは言われかねないだろうが」
「すいません……」
フォローしてるのか貶してるのか分からない反応に縮こまる。しかし彼は気にした様子もなく、「で?」と聞いてきた。
「え?」
「用件は?用事もないのに交番にくる物好きはいないだろ」
その後この交番は物好きで溢れかえることになるのだが、それは現時点では誰も予想していない話だ。綾乃はつかめない目の前の警察官に少し物怖じしながら、あのですね、と事情を説明した。
「は、なるほど。携帯な。キャリアに連絡入れたか?」
「えっ?」
「入れてないのか?機能停止させておかないと、拾った奴に電話帳盗まれるぞ。そうしたらお前の知り合い全員に悪質な迷惑メールがいく」
「あ!たしかに!」
すっかり頭から抜けていた。無くしたのは昨日の帰り。既に誰かに使われてないといいけど、と一気に不安が倍増する。
 警察官は若干呆れた顔をして、次に「学校は?」と聞いてきた。
「若干手続きに時間かかるから、この時間じゃ遅刻するぞ。その制服朝凪だろ」
「え、ほんとですか。学校に連ら……あ、携帯……」
そう、連絡しようにも連絡手段がない。しかし朝凪高校の始業時間を考えると、言う通り手続きに時間がかかると遅刻しかねない。進学校だからなのかなんなのか、朝凪は休むにしても遅刻するにしてもきっちり連絡をいれないと先生に呼び出され「ホウレンソウをしっかりしなさい」とかなんとか怒られるのである。逆に連絡さえすれば仮病でも怒られないのだが。
 尚、この際「首席合格にして成績学年最優秀」という立場を盾に無断欠席・無断欠課を重ねることになる某一年の問題児は例外とする。
 警察官は何やら事務机の中をから紙切れを取り出した。
「学校には連絡しといてやるから、お前はキャリアに連絡しとけ。自分のキャリアわかるよな?連絡先そこに書いてあるから。ちなみに担任は?」
「あ、ありがとうございます!担任はザビエ……ええと」
「ああ、ザビエルか。なら話は早い」
え?と綾乃は目を丸くする。紙と受話器を受け取りながら、ポケットから自分のスマホを取り出す警察官を眺めた。綾乃の担任教師のあだ名「ザビエル」は朝凪生なら誰でも知っているだろうが、なんでこの警察官が知っているのだろうか。そんなに朝凪生がお世話になっているのだろうか?
 警察官はスマホを操作すると、耳に当てて慣れた声色で「もしもし?」と答える。
「はい、お久しぶりです。ああ、先生んとこの生徒がちょっと今うちにいるんで、遅刻つけといてください。え?ああ、俺今朝凪駅前で警官やってるんで。違いますよザビ先じゃあるまいし。……はいはい、生徒に変わった方がいいですか?ああ、はい。――名前は?」
はたと、自分が尋ねられたのだと気付いた。九条綾乃です、と答えると、「ん」と短い回答があった。
「九条綾乃だそうです。……はぁ、そうですか。いやもうこの年になればどうでもいいですよ、互いに。それじゃ手続き終わり次第向かわせますんで。はい。……え?面倒くさいじゃないですか。こっちの方が楽です。せいぜいFacebookに個人の番号載せたことを後悔しといてください。では、失礼します」
電話が切られる。眺めていた綾乃はあわててキャリア会社に連絡する。事情を話して電話番号などを告げると、一時的にサービスと機能を停止しておくとの返答があった。
 電話を切る。できたか?と問われたのではいと答える。
 あらためて警察官を見た。
 この人は、一体何物なのだろうか。
 観察するように黙って眺めていると、目の前にヒラリと一枚紙を差し出された。
「太線で囲ってあるとこ、書いて。書きながら携帯の特徴言って」
「あ、はい。ええと……」
住所や名前を書き込みながら、色や形、ついているキーホルダーなどを答える。静かな室内に、ペンを走らせる音が響く。ちらっと盗み見た字は、少し払い癖のある角張った明朝体みたいな字だった。
 ふと、ある項目で手を止める。
 連絡先。
 手元を覗き込んだ警察官が、ああ、と指差した。
「見つかったときの連絡先だ。実家にでもしておけばいい」
実家。
 はい、と答えずに、綾乃は少し黙り込んだ。
 家に電話がかかってきたら、親にばれてしまう。見つかったというのに親というのは管理がうんたらとか叱ってくるものである。
 それだけで済めばいい方だ。信用がかんたらとか叱られて、取り上げなどと言われる可能性もある。
 それは、困る。
「……あの」
「何だ」
「あ、その……ええと、ここ、書かなきゃダメですかね……」
「書かなかった場合どうする気だ」
確かに。
 ここで綾乃は閃いた。この閃きこそが綾乃の今後を運命付けたと言っても過言ではない。
 幸い、ここは朝凪駅前。つまり通学で毎日通る場所である。
 だったら、直接聞きに行けばいいのだ。
「あの!毎日私ここに来るんで、見つかったら教えていただけないでしょうか!」
対する答えは冷たいものだった。
「無理だな」
あう、と声が漏れる。警察官はため息混じりに「こういうのはな」と説明してくれた。
「この紙を本部に回すんだ。そうすると全国の拾得物の情報と照合されて、確認に来てくださいとなる。交番は介さないから、ここに来ても意味ない。……でも発想は面白いな。なんでそんなことを考えた?」
「えと……親に、バレたくなくて……」
「ああ、携帯買ったのは親だからな、怒られるな」
「そうなんですよ、私だって反省してるのに……」
「ふぅん……」
警察官は黙り込む。考え込むように腕を組んで息をつく。
  やっぱりだめか、と腹を括りかけた、その時だった。
「――本当に毎日くるなら、一週間、待ってやろうか」
「……え?」
それはまさに神の思し召し。
「僕がいなかったら高山って言えば誰かが呼び出す。ただし一日でも来なかったら終了だ。こっちだって無駄な労力はたくんだからな」
「――ありがとうございます!!」
机に額をぶつける勢いで頭を下げた。ジーザス!とか叫んで崩れ落ちそうだった。
 警察官――高山は綾乃の前の紙を取り上げると、書面を確認してひらひらと振る。
「じゃ、そういうことで学校行ってきな」
「行ってきます!」
最後にもう一度頭を下げて、急いで荷物を纏める。
「――高山さん!」
確認のように言って、綾乃は交番を飛び出した。
 それは、すべての始まり。
 道端の遅咲きの桜が、ふわりと青空に舞った。


「――って言うのがきっかけだったんですよ。優しいですよねぇ~」
うっとりする綾乃に冷ややかな目を向ける理音は、ため息をついてから「それで?」と尋ねる。
「え?」
「え、だって、今恋に落ちる要素どこにあった?その後の話じゃないの?」
「ああ、そういうことね」
綾乃はチャイを飲み干して、続きを語り出す。
「それは――」
少女たちが顔を寄せた。


【4月中旬 綾乃と高山 2】
「……本当に毎日来るんだな」
 通って三日目、引き戸を開いた綾乃はそんな言葉に迎えられた。
「だって、来いっていったじゃないですか」
「とっとと来忘れて俺を面倒くさい仕事から解放してくれるかと思ったが」
「あう……その点についてはごめんなさい……」
そう、余計な手間をかけさせているのは綾乃だ。しゅんと肩を落とすと、事務机に向かっていた高山はマグカップを口に運び、そしてふいと視線を逸らした。
「まぁ、それくらい誠意があれば、多少は苦労も報われるな」
コト、と机に置かれたマグカップは湯気がたっている。昨日はコーヒーだったが、今日もそうだろうか。
「……高山さんて、私の友達に似てますね」
「は?」
「そうやって、落として上げる言い回しが」
「そうか?」
ツンデレって言われませんか?」
「言われる訳が……いや……昔言われた気もするな……」
何故だか頭を押さえてため息をつく彼に、綾乃は首をかしげる。思い付いたようにカレンダーに目をやり、「4月か」と呟いてまたマグカップを口に運んだ。
 三日目にして、既に彼は奥の控え室から出ずに綾乃を迎えるようになっていた。正確には彼が事務机に居たのは初日だけだ。
 警察官という肩書きや近寄りがたい口調に比べて、案外親しみやすい性格だなと綾乃は感じていた。面倒くさがりに見えるが、それでいて仕事はちゃんとこなしているように見える。
 高山はマグカップを置くと、なんか飲むか?と聞いてきた。いいんですか?と返すと大したもんねぇけどなと返される。
「紅茶とコーヒーと緑茶くらいだ。しかもインスタント。ああカップも来客用の湯呑みしかないな」
「それで全然構いません。紅茶がいいです」
「砂糖いるか?」
「あればミルクも!」
「ない」
なんだ~と残念がりながら、綾乃は奥へと入る。高山の向かいの椅子に腰かけて、彼が紅茶を入れる様子を見ていた。
 こぽぼ……とお湯の音がして、紅茶の香りが広がる。インスタントという割には香りがいい。注ぐ手付きもどこか高級ホテルのウェイターみたいになめらかだ。
 ふと綾乃は、彼の袖口に何か光ったのを目に留めた。
「……それ、時計ですか?」
「ん?ああ」
はい、と湯呑みを綾乃の前に置きながら、高山は腕時計をはずして見せる。濃い焦げ茶の革ベルトとくすんだ金の時計が、アンティークな雰囲気を醸していた。
 覗き込めば、紺に銀の文字で数字が描かれていた。数字の背後には金の細い線でひとつすずつ幾何学模様がデザインされている。時計の中央部分は歯車がむき出しになっていて、下の方に月か何かの周期を表す針と文字盤が備わっている。かっこいい、と呟くと、「だろ?」と得意気な声が返ってきて顔を上げた。
 何処となく嬉しそうに見える。相当思い入れのある時計なのだろうか。しかしかなり使い込んでいるという様には見えなかった。新品と言うほどでもないが、綺麗な状態だ。
「自分で買ったんですか?」
「いや、残念ながら貰い物だな。だいぶ会ってない親友から突然送られてきたんだ」
だいぶ会っていない親友から。時計が。なるほど思い入れもあるわけだ。
 高山は大切そうに時計を一撫でした。きっとちゃんと手入れしてるから綺麗なんだ、と悟る。
 そんなふうに大切に出来るのは、それは、とても。
「素敵ですね」
溢れた言葉に、彼は首を傾げる。
「そうやって、思い合える友達がいるって。素敵だなって思ったんです」
そして、そんな、愛しげな優しい顔ができる貴方も。
 瞬きして、高山はふっと笑った。
 少しだけ目を細めて、眉の角度を緩めて、口角を微かに上げて。
「確かにそこは、恵まれてるかもな」
――あ。こんな風に笑うんだ。
 紅茶を注ぐように、何かが満ちていく感覚がした。


 彼の警察官としての実力を知ったのは、その翌日のことだった。
 綾乃はまだ見つからない携帯の行方を確認するため、今日も今日とて交番に向かう。
 朝凪の街は表裏一体だ。学生街として、また近辺でそこそこ大きい街として賑わう駅前及び朝凪商店街に対し、そこから少し外れると所謂「裏社会」が蔓延っている。強い光には濃い影ができるとはこの事だろうか。
 だから、か弱い女子生徒は、駅前につくまで寄り道なんかしてはいけないのだ。ましてや細い路地なんか入ってはいけないのだ。たとえそれが近道でも。
 ただ、まだ太陽の高い昼間となれば、油断も生まれるというもの。
 たまたま授業が早く終わる日だった綾乃は、いつも通り交番へ向かっていた。
 だんだん交番へ行くのが楽しくなってきた。そんなことを言ったら高山に物好きだと言われそうだが、今も結構うきうきしている。
 高山は口が悪いが結構物知りで、話していて楽しい。それに行く度に色々な表情が見られて楽しい。早く会いたいなぁと、綾乃は駅までの近道を歩く。
 と、その時だった。
「おねーちゃん、こんなとこでなにしてんのー?」
典型的な厭らしい声が聞こえたのは。
 振り返ると、2、3人の男がにこにこしながらこちらを見ていた。
「それ、朝凪の制服だよねー?」
「だめだなぁ、そんなエリートがこんなところを通っちゃ。可愛い女の子は狙われるよ?」
「――こんな風にねッ!!」
それは一瞬。
「いや……ッ」
抵抗する間も無く、男たちに羽交い締めにされる。年齢は30に届くかどうかといったところだ。鍛えてもいない綾乃がじたばたしたところで、放して貰えそうにはない。
「見た目はいいけど、こっちはどうかなっと……お!」
「やだ、放して!」
「イイもの持ってんじゃん?Fはないかな……Eってとこか?」
「まぁそこそこだな。おい、俺にも触らせろよ」
「いいぜ、ほら――」
いやだ、と必死に抵抗するも甲斐はなく。
 触る手つきが気持ち悪くて、ぎゅっと目を閉じる。
 なんなのこの人たち、と頭の中で悲鳴をあげて、口は「誰か……っ」と助けを求める。
「残念だなあ、こんなところ誰も来な――」

「来ないってことはないだろ。道が繋がってるんだからな」

――聞き覚えのある声がした。

「どーも。俺に見つかった以上手放した方が得策じゃねぇの」
「は……お前、見ない顔だな?新米か?」
路地の入り口に立つ彼は、目深に被った帽子のつばに手をかける。
「そうだな、お前らが散々戦ってきた警察官に比べりゃ新米だな。何せ二年目だ」
「あはは、新入りにどうかできるほど、俺たち落ちぶれてないよー」
「そうだな、俺はお前らのことよく知ってるからな」
「はっ、引き継ぎの資料でも見たか?」
「あれか。むしろ俺が書き足したくらいだ」
綾乃は男の正体がわかっている。三日も四日も聞いた声を忘れるわけがない。
 でも安心出来なかった。今綾乃を捕らえているのは、この街を巣食う暴力団に身を置く者だろう。彼らに対処するのは容易ではない。朝凪周辺に住む者なら、小さい頃から注意されてきた。
 綾乃だって知っていたのだ。ただ、昼間だったから油断した。
 彼はそれでも冷静に言う。
「聞いたことあるだろ。雨水の狼とか、朝凪の番犬とか。お前らの知り合いも被害被っただろ?」
「ああ、いたな、最近聞かないけど。それがどうか――」
「――まて、こいつ……!」
彼は、にやりと笑ってつばを上げた。
「聞かなかった二年間、何をしてたんだろうな?」
 その笑みは、昨日の笑顔とは全く違った。
 見ただけで震えがするような。方向で言えば、綾乃を捕らえる男たちと同じ。
 彼はこちらに歩みを進める。
「お前、サツなんかになってたのか……!」
「まぁな、お前らが想像する『サツ』とは違うだろうが」
「あ?なに言って――!?」
「!?」
ゴッ!と鈍い音。
 頭上で響いた音に驚いて、自分を拘束する手が離れたことに気づくのが遅れる。
 高山が、綾乃を羽交い締めにしていた男を殴り飛ばしたのだ。
「怪我してないか」
放り出された綾乃を抱き止めて、彼はそう尋ねる。驚きで言葉が出ない中「だいじょうぶです」と辛うじて答えると、そうか、と素っ気なく言われてそのまま抱き寄せられた。
「ここから距離をとれ。でもこの路地から出るな。仲間がまだいてもおかしくない」
耳元で囁かれる声に肩が跳ねる。はい、とか細く答えるのが精一杯だった。
 ぽん、と背中を叩かれた。それはたぶん「行け」の合図で、綾乃は近くの電柱に隠れる。高山はこちらをちらりとも見ずに、トントン、と爪先で地面を突いた。
 それは、何の合図だったのか。
 彼は問答無用で足を振り上げ、流れるように文字通り「一蹴」した。
 男たちが地面に叩きつけられて、呻き声をあげる。微かにアスファルトが赤く汚れた。
「てめっ、警察のクセに暴力ふるいやがって――」
「あ?だってお前ら、言語を理解する脳ねぇだろ?やめなさいって言ったって理解できねぇだろ?だからお前らの『ことば』で伝えてやってるんだろうが。ごちゃごちゃ言わずに聞いとけ」
くる、と高山が身を翻す。華麗なターンは俊足――物凄く俊敏に応戦する足――を伴っていて、男は今度は壁に叩きつけられた。ぐふっ、と綾乃が聞いたことの無いような呻きが聞こえた。
「知ってただろ?他の街がどうであれ、朝凪の警察はこうだ」
ついに地面に這いつくばって立ち上がらなくなった男たちを見下ろす。
 綾乃から見えるのはその後ろ姿。
 ちょっと乱れた制服に、視線はいつのまにか釘付けになっていた。
 今目の前で起こったことは、「良いこと」ではないだろう。
 いくら「悪いやつら」だからといって警察官が殴り飛ばして蹴り飛ばすなんて、前代未聞だ。彼は免職にならないのだろうか、と少し心配になる。
 けれど――
(かっこいい……)
素直にそう思った。
 後ろから微かに見える横顔は、不安など一切伺えなかった。寧ろ自信に溢れている。きっと彼はこれで上司に怒られたって、不平不満は一つも言わないのだろう。すべてを認めた上で、それでも自分はこの方法を選んだのだと、後悔などしないだろう。
 それは邪道で、社会が理想に掲げる「正しさ」ではない。けれどそれは確かに、そんなものには左右されない彼の「正義」。
 自分は、親に怒られるのが怖くて、過去の自分の行動から逃げたっていうのに。
 この人はなんて強いんだろう。
 溢れ出した想いは、憧れというには熱すぎて。
 男たちに何か言って、こちらを振り向いた彼が、春の日射しより輝いて見えた。

「そういや、九条……だっけ」
「は、はい!九条です!」
「お前の携帯見つかったって」
「ほんとですか!ありがとうございます!!」



綾乃:――ってことがあったの。あ、ごめんね、長く話しすぎたね

苓:いえ、それはお気になさらず……素敵なお話でしたよ

櫻子:ねー、ただの面食いな色ボケじゃなかったんだねー

理音:正直私も、綾乃のことだから一目惚れ系だと思ってた

葵:ずばっと言うわねぇー

綾乃:二人とも酷くない!?

希愛:高山さんかっこいいけどさー、顔はそんなじゃないよね?普通だよね?一目惚れはしなくない?

綾乃:そんなことないよ、高山さんかっこいいよ!

理音:こいつセンスちょっと変だから……

綾乃:えっ私そんなに変!?

葵:まぁ変わってるわよね。今日のピンは何なの?

綾乃:あ、これですか?これハマグリです!かわいいでしょ?

櫻子:ね?

希愛:たしかに……

苓:斬新ですね……

綾乃:え?可愛くない?

理音:ま、個性だよね

葵:ナイスフォロー

理音:ていうかさ

櫻子:なーに理音ちん

理音:朝凪の番犬て……なんか聞いたことあるんだけど……なんだっけ?

希愛:あたし雨水中出身だけど、雨水の狼は聞いたこと無いなぁ

苓:私もです。きいた感じ、二つ名ってことですよね?

葵:それは年齢差じゃないかしらね

綾乃:あ、そういえば、それ私も知らない。葵さん知ってるんですか?

葵:ふふふ、その筋じゃ有名な名前だしね。椿がよく言ってたからねぇ

櫻子:あ、葵さんの恋バナききたい!椿って葵さんの彼氏でしょ?

理音:え、彼氏なんですか?

葵:彼氏ではないと思うけど……そうね、椿と知り合ったのは……高校の時だったかな。私が一年生の時だったと思うけど……あいつ何年生だったんだろう?

苓:高校……?霜花ですよね?女子校なのに、どこで知り合ったんですか?

希愛:学校外ってこと?

葵:そうね、あいつうちの前で物欲しそうな顔して立ってたの。中覗いて。雨の日に、帰ってきたら自分ちの前にずぶ濡れのイケメンが立ってる訳じゃない?

綾乃:椿さんかっこいいですよね、顔

櫻子:女装似合いそうだよねー

葵:今度やらせてみようかな……

理音:写真送ってください、兄貴に渡しときます

葵:それ楽しそうね。……それでね?当然だけど、どうしたんですかって声かけたの。そしたら振り向いて、振り向き様に盛大にあいつのお腹が鳴ってね。仕方ないからうちに上げて食べさせてあげたってわけ。それが最初かな

希愛:そのとき椿さん何してたんですか?

理音:そりゃあ……放浪してたんじゃないの?

希愛:え、その頃から?

理音:あんた椿知ってんの?

希愛:ちょっとだけですけどね

苓:放浪……ですか?椿さんってどんな人なんですか?

葵:あら、知らない?あいつ、朝凪の暴力団も避ける狂犬よ?

綾乃:……えっ?

希愛:え、つまり、裏番張ってる的な……?

理音:あーちがうちがう、本当にただの狂犬だよ。兄貴の犬だし。

櫻子:一匹狼ってことー?

苓:……葵さんは、どこが好きなんですか?聞くところ、椿さんて……その

葵:うん、どうしようもないクズよ。女ったらしだし。じゃあ、私の人生最大の間違いのお話をしましょうか――


【7月某日 葵と椿】
 それは夏の日のこと。
 ガランガランと鐘を鳴らして喫茶店に入ってきた、朝凪高校の制服に身を包む男子生徒は、慣れた様子でカウンターの端から二番目の席に座った。
 息をついて、彼はネクタイを緩める。深い赤のそれには、朝凪の校章をあしらった銀のタイピンが光る。
 彼は誰もいないカウンターに呼び掛けた。
「おじさん、コーヒーひとつ。……おじさん?」
返事はない。
 その代わり顔を出したのは、およそ「おじさん」とは呼びがたい青年。
「よくぞ来たなヒロちゃん!この俺がじきじきにコーヒーを」
「いらない」
「なんでっ!?」
「豆が勿体ない」
「そんなことないし!超絶美味いの淹れられるし!」
「はいはい、椿は黙ってて。ごめんね高山くん、お父さんちょっと出掛けてるの。私のでよければサービスするけど?」
「ああ、そうなんですか。じゃあ葵さんお願いします」
「だから俺が淹れるって!」
「お前のはいらない」
そう、それは、高山がまだ高校生で、椿がまだ喫茶店でバイトしていた頃のこと。


 椿にアルバイトをさせたのはただ単にあまりにも暇そうだったからだが、喫茶店の常連だった高山とアルバイトを引き受けた椿は面識があったらしい。なにせ第一声が互いに「うわっ」だった。
「しかしヒロちゃんがこんな真面目クンだったとはなぁ……」
カウンターに頬杖を突きながら、椿は溜め息をつく。
「高山くんは真面目じゃない、昔から」
「そんなことねぇよ?こいつ雨水の狼で朝凪の番犬じゃん」
「うるせぇな……」
「でも朝凪首席合格でしょ?」
「うっそ!?ヒロちゃんそんな頭いいの!?」
「うるせぇっつってんだろ」
スコーン!と椿の頭をシャー芯ケースが跳ねる。高山が放ったものに違いない。地味にいてぇ!と頭を押さえる椿の代わりに落ちたそれを拾うと、中身は空だった。
 高山はこの頃国家試験の勉強中だった。家でやらない理由を一度聞いたことがあるが、彼は「申し訳ないって視線が痛い」と答えた。葵は詳しい家庭事情を知らないが、それ以上聞いてほしく無さそうだったので追求はしていない。代わりに頑張る一つ年下の彼を応援していて、その邪魔をする椿を排除するのも葵の役目だった。
 コーヒーを作りながら葵は、高山の手元を覗き込んで「六法全書って死海文書みたい」などとほざいている椿にじっとりとした視線を向けた。
「椿、そんなに高山くんに構ってもらいたいなら、コーヒー一杯くらいまともに淹れられるようになりなさい」
「えー……」
「えーじゃない。邪魔する暇あったら練習しなさいよ。安い豆使っていいから」
「えー……じゃあ葵が手取り足取り教えてくれんの?」
「仕方ないわね」
「マジで?葵が教えてくれるなら頑張ろうかなー?優しくしてね?」
「黙ってさっさと準備してきて」
「ええー?素っ気ねーの」
口ではそう言いながらも、軽い足取りで彼は店の奥へ入っていく。手を洗って豆を持ってくるのだろう。
 そんな椿を見て、高山が「葵さんさ」と溜め息混じりに切り出した。
「なんであんなの拾ったんですか?あいつ、根っからのクズですよ」
本当に信じられない、とでも言いたげな口調に、葵は首を傾げる。
「そんなに?」
「そりゃもう。あいつ賭け麻雀の常連だし、ゲーセン出禁にされてるし、更生しようなんて気全くないし」
「そうなの?それは酷いわね」
ボロクソに言っておきながら、嫌うというよりただ呆れている様子の高山に少し笑い、葵は椿が消えた店の奥へと視線をやる。
「……更生する気がなくても、更生の余地はあると思うの。あいつ、なんだかんだ憎めないでしょ?余地すらなかったら、毎日ここに来たりしてないだろうし」
「それは、下心があるからじゃ……」
「いいじゃない、下心だって。それでコーヒー一杯でも淹れる技術身に付けてくれれば、ほら、後々どうにかなるかも知れないし」
はい、とコーヒーを差し出す。高山はそれを受け取って、「優しすぎませんか?」と葵を見上げた。
「ま、あいつがもうどうしようもなくなったら成敗してくれる?高山くん」
「了解です、再起不能になるまで叩きのめしておきます」
貴方も結構えげつないわね、と笑う。
 戻ってきた椿は、「何話してんのー?」と能天気に話しかけてきた。


 椿は、恐ろしいほど何もできなかった。
 葵の口癖が「あんたは何を学んできたの?」になるほどに。
 具体的にどのくらい酷いかと言うと。
「ねぇ、この布巾絞った……?やけに濡れてるんだけど」
「限界まで絞ったし。それ以上絞れないって」
「………………まって、あんたどうやって絞った?」
「え?ぎゅーって」
「何そのパントマイムは!今丸めたでしょう!あんた本当何学んできたの?雑巾は捻って絞るの!」
このくらい酷かった。
 毎日が怒号である。葵の体重が若干減ったくらいだ。日々通う高山がこないだ、「お疲れさまです」と小さな可愛らしい菓子箱を差し入れしてきた。
 しかしそれでも見捨てられない理由がある。
「いい?布巾とか雑巾を洗ったら、まずはこうやって細長くして、両手でこうやって持って」
「こう?」
「違う、こっちの手は逆さま。……そう。そしたらこっちにこう思いっきり捻る」
ぐ、と椿が雑巾を絞る。ジャッと水が落ちた。
「うおー!めっちゃ水でる!!」
この顔である。
 彼は義務教育を受けたのだろうか。二十歳を過ぎて暇してるのだから、そう真っ当な人生は歩んでいないのだろうが、ここまでとなるとそもそも家庭環境からしておかしかったのではなかろうか。
 葵にとって当たり前のことでも、教えてやると椿は目を輝かせた。そして知ってて当然だと告げると、彼は途端に虚勢を張る。
「いや知ってたし。まぁちょっと忘れてたけど?普段俺雑巾なんて絞んねーし!」
こんな風に。
 彼の性格なのか、何かを隠しているのか知らないが、だいたい椿は虚勢を張る。知ったかぶってベラベラ喋るが、半分くらいテキトーだったりする。これはちょっと面倒くさい。
 それでも好奇心旺盛な椿に物事を教えるのは、そんなに悪い気はしなかった。あまりにも目に余って派手に叱った時は、しゅんとするのが目に見えて、なんだか毒気を抜かれてしまう。駄犬に絆されてますね、と高山に呆れ顔で指摘された時は、返す言葉が見つからなかった。
 そんな椿にも得意なことがある。
 接客だ。
 椿が来てからというもの、実は売り上げが倍に跳ね上がっている。顔の整った椿は客寄せパンダになっていたのだ。
 いつも通りカウンター席の端に座る高山は、シャーペンを回しながら店内を見回して、「女性客増えましたよね」と冷静に見解を口にした。
 絞った布巾でカウンターを拭きながら、葵は「そうね」と答える。
「そこは椿のお陰だと思うわ」
視線の先で、ガランガランと鐘を鳴らしてまた女子高校生二人組が入ってきた。
「いらっしゃいませー。あ、こないだ来てくれたよね?ありがと」
出迎えた椿がニコッと笑う。
「えー、覚えてるんですかぁ」
「もちろん!かわいい子は印象に残るからね」
やだぁ可愛くないですよぉと女子高校生たちは笑い合う。
 葵は「信じらんないわ……」と呟いた。
「なんでああいう台詞がサラッと出てくるのかしら」
「ていうか俺はあいつの無駄な記憶力に殺意を覚えてるんですが」
「あれもう怖いわ」
椿の記憶力は、恐ろしかった。最近来た客の顔をだいたい覚えていて、その人が来店した時にはああやって話しかけるのだ。
 男性客からも好感度は高いが、何より女子に効力がある。イケメンに覚えていて貰った特別感は心揺さぶるもののようだ。
 椿は今度は別の女性客と談笑している。注文をとるときに「それどこの制服?」等の簡単な質問をして、少し他愛もない話をして客との距離ちぢめているのだ。
「葵ー、この子霜花だってー!」
椿が楽しそうに此方を向いた。
「……お呼びですよ、葵さん」
「本当あいつのコミュニケーション能力高過ぎ……」
若干引いたように言いながらも、葵はころっと笑顔を作って「あら、じゃあ後輩ちゃんね。遠かったでしょう?」と椿の元へ向かう。
 霜花学院の少女たちは「朝凪の友達から聞いたんです」と笑う。どうやら口コミが広がっているらしい。
「カフェオレが美味しいって。でも、わたし苦いの苦手なんです」
少女は照れたように笑った。じゃあ砂糖多めにしとこっか?と椿が問えば「お願いします」と答える。
 ――葵は、そのやり取りを目を瞠って聞いていた。
「おーい、葵?カフェオレ、砂糖多めだって」
「……え?あ、ああ、はい」
顔を覗き込んできた椿の声で我に返り、葵は厨房へと踵を返す。
 カフェオレを作りながら、葵は考えた。
 ここのマスター、葵の父親は、コーヒーを淹れるのが上手い。だから今までは、そのコーヒーに魅せられた男性客や大人の女性客員が中心だった。
 他のメニューといえばホットミルクや、時々葵が気ままに果物を使ったジュースを作っていたくらいだ。コーヒーを目当ての客ばかりであまり需要がなかったこともあって、興味の赴くままに作っていたのだが、客層が変われば需要も変わるというもの。
 砂糖多めのカフェオレを椿に渡してから、葵は冷蔵庫にあったメロンでジュースを作ってみた。ミルクとメロンでババロア風に固めて、それをミキサーでざっくり細かくし、メロンの果肉を混ぜ合わせる。さらにふわっと甘さ控えめのホイップクリームをトッピング。小さな試飲用のプラスチックカップに作ったそれを自分で飲んでみて、うん、と頷いた。
 味は美味しい。
 若い女の子たちに人気のものといえば、甘い飲み物だ。暑い夏は特に冷たいもの。葵は同じメロンジュースを何個か作ると、先程の霜花学院生の元に持っていった。
「ねぇ、甘いものは好き?よかったら、試飲してみてくれない?」
二人の少女は二つ返事で了承すると、メロンジュースに口をつける。葵は笑顔を保ちながら、内心どきどきして二人の反応を待つ。
 一口飲んだ二人の感想は「おいしい!」だった。
「これ美味しいです!新作ですか?」
「ええっと、そうね、ほら、暑いじゃない?最近」
ただの思い付きなのだが、笑って誤魔化す。二人は美味しい美味しいとジュースを飲み干した。
「これなら、苦いの苦手でも来れます!」
幸せそうに見上げる少女。葵も思わず「でしょ?」と笑顔になる。
 改めて、椿の存在を思う。一気に客層を広げただけでなく、こうやって客との関わりを作った。今の発想だって、椿が葵を呼ばなかったら出てこなかったもの。繁盛してるからいいものだと思って、そんな需要に気付かないところだった。
 この人が欲しい、と葵は思った。
 この人の才能が欲しい、もし手に入ったなら、もっとお店を良くできる――と。
 当の椿はそんな自覚は無いらしく、へぇー美味しそう、と葵の手元を覗き込んでいる。
「それ、他のお客さんにも配ったら?」
「え?」
「新作なんだろ?」
「え、でも、材料が」
「新作メロンジュース試飲しませんかー?」
「ちょ!?人の話聞きなさいよ!!」
「メロンジュース?おいしそう~!」
「新作だってー、飲んでみる?」
「はーい、私飲んでみたいです!」
広がる「飲みたい!」の輪。「よかったじゃん、飲んでみたい人めっちゃいる!」と笑う椿は、全く悪気がないらしい。
「――ああもう、わかった、作るから!あんたこの人たち整理しといてよ、全員分はないかも知れないから!」
「え、整理?人を?わかった」
「お前絶対分かってねぇだろ……紙かせ、整理券か何かつくって順番決めろ」
「あ、ヒロちゃん。手伝ってくれんの?」
才能以上にトラブルメーカーなのが困りものだ、と葵は額に手を当てた。



 七月が終わって、八月。
 朝凪高校の部活が休みになる時期だ。そうすると喫茶店の客も減ってくる。
 葵は、息を吸い込んだ。
「あんた本っ当に何を学んできたの!?礼儀も遠慮も知らないの!?もういい、今日はもうこなくていいから!頭冷やしてきて!!」
ドアを開けた瞬間飛び出した怒号に、高山が思わず固まったのは想像に容易い。


「……何があったか、聞いていいですか……?」
席につきながらおずおずと聞いてきた高山に、葵は未だ怒りながら答える。
「椿のやつ、金がないから給料あげて欲しいって言ってきたのよ、かるぅ~い態度で。何にもできないで、昨日も女の子とデートしてきたとか言って来なかったくせに。うちもそんなに裕福じゃないし、ちょっと面倒みてやってるからって調子乗りやがって」
あー、と高山は納得したように言って、息をついた。
「まあ、俺に口出せる話じゃないですね」
「……そうね、ごめんね。入ってきていきなり怒鳴り散らしてて驚いたわよね」
いえ、と高山は静かに言う。奥からマスターが出てきて、コーヒー要るかい?と訪ねた。
「あ、お願いします。……おじさん的には、椿、いいんですか?」
「彼の採用についての一切は、葵に任せているからね」
つまり、葵を怒らせた椿に救いはない。
 椿のいない店内は静かだった。たまたま客もいない時間だったので、シャーペンの走る音だけが響く。普段どれだけ椿のことで騒いでいるのかが身に染みる。
 なんであんなこと言い出したんだろ、と葵はぽつりと呟いた。
 クズだというのはわかっていた筈だが。それでも彼は真面目だった。時々突然休むが、普段は毎日来ている。一日中いるなら、それなりの給料も渡してある。
 ぽつりと溢した疑問に返ってきたのは、「お金なかったんじゃないですか」という呟きのような解答だった。
「……本人もそう言ってたけど、だって、お金って、何に使うのよ」
「よく分かんないですけど、あいつ、母子家庭だから……色々あるんじゃないですか」
母子家庭?と問い返す。あ、知らないですか?と彼は分厚い本から顔を上げた。
「母子家庭なんですよ。詳しいことは知らないんですけど一応父親は生きてて、でも稼ぎないんだか何かで貧しいらしいです」
「ふぅん……じゃあもっと真面目に働けばいいのに」
「……あいつを庇う訳じゃないけど、あいつ、言うほど遊んでないですよ。なんか色々言ってるけど、女子と一緒にいるのほぼ見たことないし」
「ええ、それも虚勢だっていうの?あいつなにを格好いいと思ってるのかしら」
 まったく、とため息をついてカウンターに頬杖をついた時、カウンターの端に置かれた電話がジリリリリンと伝統的な音を上げた。
 飴色のカウンターの端に置いてあるのはなんと黒電話だ。ダイヤル式の文字盤がついている。が、実はこれはすでに動かず、動くのは受話器だけだ。マスターの知り合いの電気屋さんが、子機を置く場所として開店祝いにくれたものである。
「葵、ちょっと出てくれるか」
「はーい……もしもし、こちら――ああ、はい!いつもお世話になっております……」
相手は、古い付き合いのコーヒー豆の卸人だった。注文しておいた豆が入ったが、自分は明日海外に行かなくてはならないので今夜取りに来てくれという内容で、葵はマスターに確認をとって了解の意を伝える。
「お父さん、そういうことだから、私あとで行ってくるわ」
「気を付けるんだよ」
わかってる、と返す。朝凪の夜が危険なことはよく知っている。
「……葵さん」
「ん?なぁに」
「夜出掛けるなら、帰りは商店街じゃなくて、裏通りを通った方がいいです」
高山が、分厚い本に視線を向けたまま不思議なアドバイスをくれた。
 裏通りは商店街のひとつ隣の細い通りだ。この喫茶店も、裏口から出るとそこに繋がっている。そんなところを夜通るなんて、葵からしてみれば思いもよらない。
「……どうして?危険じゃない?」
「いや……まぁ、不良って呼ばれる奴等にも、所謂縄張りってやつがあるんですよ。商店街はニュートラルなんで、質の悪い高校生とかが湧いててめんどくさくなりがちなんです。その点裏通りは、強い奴の縄張りで、……まぁ、関係ない一般人には友好的なんで、ただ通るだけなら安全です」
「へぇ~……そういうもんなの。詳しいのね?」
「え?いや、そこらの男子高校生なら知ってますよ。別に俺が特別ってわけじゃ」
「ふーん、高山くんが元ヤンって訳ではないのね?」
「や……違いますって……」
「随分おとなしくなったものねぇ。永久くんいないとさみしい?」
「今あいつ関係ねぇだろこのアマ……」
あっ口調戻ってる、とにやにや指摘してやると、高山は「うるせぇな」と言ったきり喋らなくなった。



 豆を受け取って帰るころには、すっかり日が沈んでいたどころか、街から人が殆どいなくなっていた。
 葵は商店街を通って帰ろうとして、ふと、昼間の高山の言葉を思い出す。
 商店街を見る。そこにはたしかに、数人の男がたむろしていた。
 通りすぎて、裏通りを覗く。誰もいない。
 葵は俊巡の末、裏通りへと足を踏み入れた。
 自分の足音が反響する。商店街に立ち並ぶ店の換気扇もすでに仕事を終えていて、しんとした静けさだけが広がっていた。
 それは、呼吸すらも異音とするほどの静けさで。
 家路を急ぐ葵が足を止めた。
 その音に、聞き覚えがあったのだ。
 細かく紡ぐ息の音。そんなものにどうして聞き覚えがあるのかわからないが、それは確かに葵の頭の中で意味を持っていた。
「椿……?」
暗がりで、もぞりと何かが動いた。
 闇の中に現れた、二つの瞳が輝く。猟奇的な猫のように赤くみえて、葵は一歩後ずさる。
「――なんだ、葵じゃん。なにしてんの?」
しかしそれはすぐに消えた。
 代わりに現れたのはいつもの椿――と言うには覇気のない、赤銅みたいな黒髪の青年。
「なにしてんの、は、こっちの台詞よ……」
葵はその姿に目を向けた。
 別に服が汚れたり破けたり、ということはないのだが、やけに弱々しく見える。電柱に寄りかかって地面に座ったまはま立ち上がらない彼は、明らかに異様だ。
「あんたもしかして、ずっとここにいたの……?」
「え?んー、朝は雀荘にいた。そのあと追い出されてふらふらして……夕方あたりじゃね?」
「……ねぇ、立てる?」
「あ、えーと、立ちたくないっていうか」
「なんで?」
「えぇ?だって……最近ずっと店にいたじゃん?だから久々に歩いたら疲れてさ」
ふうん、と葵は相槌をうつ。椿の言葉なんてまるで信用してなどいなかった。彼はいくらでも嘘や言い訳をする男だ。葵は質問を重ねた。
「ねぇ、昼ご飯は?」
「あー、食べ損ねた」
「夜ご飯は?」
「食ってない。……だからお腹すいてんだよね。葵さ、なんか食べもん持ってたり……しない?」
「……それはいいけど。あんた、今日水飲んだ?」
「んー?水?喉乾いたから公園でちょっとだけ……」
 今日の日付を思い出してほしい。八月だ。
 例年に違わぬ夏日だった。気象用語なら、猛暑日と言うべきか。
 それで彼は、水も飲まなければ食べ物も食べずに、何時間炎天下にいたのか?
「……あんた、家は……?」
「家?あー、今日ちょっとお客サンいて帰れなかったんだよな」
それでも一日中外にいる必要はない。小学生だってご飯を食べに帰る。高山が言った通り、「色々とある」のか。
「お金は……」
「ねーよ?葵くれなかったじゃん」
「ねぇ、普段の給料は……?」
「ああ、ぜーんぶ女に貢いじゃった」
「その女って誰?」
その質問に、椿が固まった。当たりか、と葵はため息をつきそうになった。
「……なに?葵、嫉妬してんの?大丈夫だよ、俺さぁ、ほんとに好きなコには貢いだりしねぇの。だから――」
「そうね、あんたが私を好きかは別として、あんたが貢いでる人は、恋愛対象じゃないんでしょ」
――それ、あんたのお母さんのことじゃないの?
 核心に触れる問いは、椿の愕然とした顔を前に消えた。
 その顔はもはや、正解だと言っているも同然だ。
 きっと隠していたのだろうが、彼はどうやら咄嗟の嘘が苦手らしい。上手いとも思っていなかったが、こんなに大ダメージになるとも思っていなかった。
「ねぇ、食べていけないほど生活に困ってるなら、ちゃんと言って。うちに来ればよかったのに」
「だって、葵怒ってたし……」
しょげたように彼は言う。そのあまりにも子供っぽい仕草が、叱られてしゅんとする仔犬と重なる。
 逆に言うと、何もできなくて、自分がいなきゃ最低限の生活すらまともに送れないポンコツなのだが――
「あんた、ほっといたら死んじゃいそうね」
――そのポンコツ具合が、葵を揺さぶるのだ。
 どうしようもなくて、頼りがいなんか欠片もなくて、かといって養いがいもなくて、なのに何故か無視できなくて憎めなくて。
 葵は手を差し出した。
「ほら、立って。立てる?気合いで頑張って、私あんたを運べるほど怪力じゃないから」
「え?だから、立てないって……」
きょとんとした顔が可愛い。ここまで来て何もわかってないとか、あんた本当に馬鹿ね、とため息をつく。
「あんたそれ熱中症よ?ちゃんと手当しなきゃ本気で死ぬわよ?」
「えっ」


理音:え?それ、そのあとどうしたんですか?

葵:一応連れ帰ったけど熱とか下がらないから、夜間救急送り。しばらく返せなかったから仕方なく親御さんに連絡して、そしたらお母さんがうちまでソッコーで謝りに来て。大変だったわ

櫻子:じゃあお母さんに会ったの?どんな人だった?

葵:その時は普通の人だったのよ?身なりも小綺麗で、あとすごく美人で、椿って母親似なんだなって思った

理音:……でも、今は……お母さん、生活保護……ですよね?

苓:えっ

葵:生活保護なんてもんじゃないわ、一時期精神科に通ってたって話もちらっと聞いたもの。ふらっと椿が消えた辺りから、椿の話はよく聞くようになったのよね、主に悪い噂として

綾乃:何があったんだろうね……

希愛:あたし聞いたことある。あたし、刹那の関係でちょっとそっちにツテあるだけだけど、それでも知ってるくらいには有名だよ。たしかあれでしょ?異母兄弟が見つかってから更に凶暴になったって

櫻子:異母兄弟!?

葵:ああ……あの頃だったのね、それ……梓くんでしょ?

綾乃:梓って、あずってまさか、まって、似てないと思うんだけど……!!

理音:どうした?

苓:知り合いですか?

綾乃:知り合いっていうか、朝凪で路上ライブやってる人がいてね、塾の帰りによくきいてるんだけど、本当に上手なの。その人があずって名前で……

櫻子:えっそんな人いたの?今度行ってみようかなぁ

苓:じゃあ今行ってみません?

希愛:え?

綾乃:あ!?ほんとだ!だいたいいつもこの時間なの。いるかも!

理音:まじで!?いこっ!葵さん行くでしょ!?綾乃案内して!!

葵:いくわ!!

櫻子:さくも行く!!

苓:私たちも行きましょ、希愛ちゃん!

希愛:うん!




理音:……葵さん、大丈夫?

葵:ごめんね、ちょっと……涙とまんなくて……あいつ、そんなこと隠して……

櫻子:葵さんベタ惚れだね~

希愛:惚れた弱みってやつかな?

苓:でも本当にきれいな歌声でしたねぇ

綾乃:でしょ!?私前からファンだったの!!

梓:……うれしい、ありがとう。枝南も喜んでた

理音:そしているっていうね。戻らなくていいの?

梓:大丈夫。どうせ……夜も、家帰れないし。お茶、ありがとう、おいしい

苓:……なんだか、救われないですねぇ。私だったら、フラレたら、せめて私より魅力的だったその女の子の幸せを願って諦めるのに。それさえ叶わないんですね

希愛:ほんとだよね!あたしこれで希亜のこと捨てたら刹那ぶっ殺すからね

梓:きっと、藤堂さんも、そうだったんだと思う。だから、俺が認知された息子だってわかって、俺の境遇を知って、よくわかんなくなっちゃったんだと……思う

綾乃:葵さん大丈夫かな?

理音:今櫻子が落ち着かせてるけど。あいつああいうの上手いよね

梓:椿に、言っておこうか。すぐに飛んできて、抱きしめて、熱い言葉をくれるよ

希愛:ほんとに~?椿、遊び人って言われてるじゃん?

梓:女遊び激しいけど、一途だから、大丈夫。好きなひとを、藤堂さんみたいにはしたくないって、言ってたから

苓:なるほど……反面教師ですね

理音:あれで一途とかそりゃ葵さん落ちるわ……

綾乃:じゃあ、椿さんてそこまでクズじゃないんだね

希愛:そしたら一番のクズって誰だろうね?

苓:どういう観点で決めるかによりますけど……ただの性格とか頭とかなら槻杷がかなり上位にいくと思いますよ?

希愛:じゃあ恋愛面に絞ろう

理音:誠実じゃない人ってこと?あんまりいなくない?

希愛:じゃあ女の子を不安にさせる選手権

綾乃:高山さん

理音:永久先輩

苓:刹那くんか瀬川くんか……

希愛:ねぇちょっと先輩方即答ってwwww

綾乃:だってそうもなりますよー!イヤならイヤって言ってほしいんです!

理音:ほんとだよ……言えよ……

梓:……永久さんと高山さんて

希愛:梓くんしーっ。それは恋する乙女には言っちゃダメ!

梓:わかった、けど、枝南が楽しんでたから、つまり

希愛:……枝南ってあのギターの人だよね?……腐男子

梓:うん

希愛:オーケー、それあたしと梓くんの秘密だからね

梓:わかった、秘密。指切り

希愛:ン"ッかわいすぎかよ!!嘘ついたら針千本のーますっ!!

苓:あ、皆さん、葵さんから涙の紅茶いただいたんですけど飲みません?

理音:えっそれ大丈夫?ネーミングどうした?

櫻子:甘くてしょっぱいチップチョップもあるよ~

理音:え、なにその「今の気持ちを表現しました」系メニュー

希愛:ていうかチップチョップなつかしいね!あのときはおそ松くんをしらなかった

櫻子:おっ、きあっち松知ってるの?誰推し?

希愛:一松推しです

櫻子:マジか~さくトド松推しなんだよね

理音:おそ松兄さん一択

綾乃:チビ太好きだけど六つ子ならカラ松!

葵:三男かしらね……

苓:あ、葵さんおかえりなさい

葵:ただいま。ごめんね、ちょっと取り乱しちゃったわ

希愛:まって見てる人多くないですか!

綾乃:アニメとかあんまり見ないけど、さくちゃんに言われて見たら面白くて

理音:刹那とその兄とその親友を想像して私を考えてほしい

葵:えっ、高山くん見るんだ?

理音:あいつごちうさ見てるくらいにはサブカル好きですよ。部屋でエ……美少女ゲーム見つけたときは……あ、この話やめとこう

綾乃:続けていいんだよ?むしろ続けて?

理音:や……ごめん、兄貴の名誉のために黙っとくわ……

希愛:そーなんですねー!なんか一気に身近に感じる!

苓:希愛ちゃんゲーマーですもんね

櫻子:なんのゲームやるのー?

希愛:とりあえずMOSシリーズは全部揃えてて、あとスーマリよくやってるのと、あとドラクエとKHと、アクション好きだから俺屍とかやったし……あ、あとかわいいからアトリエシリーズとかサモンナイトとか、とりあえず何でもやります!

櫻子:ほんとにゲーマーだった!知らないのいっぱい!

梓:アニメか

例:梓くんも見るんですか?

梓:みてみたい、とは思う、けど。家に、いないから……テレビが。漫画は読むよ

櫻子:どんな漫画ー?

梓:……こないだ読んだのは……世界一初こーー

希愛:まてまて梓くんそれも内緒ね!?

梓:……ひみつ

櫻子:(察した顔)

理音:(察した顔)

綾乃:えー聞きたかったなー

櫻子:知らなくていいと思うよー知ってたら余計なことに気付いちゃうからねー

綾乃:余計なこと?

櫻子:理音ちんみたいに。

理音:いや、うちだって、マジだとは思ってなかったのに、思ってなかったのに……!!ちょっと気になってる自分が憎い……!!

梓:……男同士の、深い友情の本。貸す?友達の、だけど

理音:いや!いい!それやったら終わりな気がする!

希愛:気にしなくて大丈夫ですよ、あたしも時々湊に刹那ネタで煽りのラインしてるし

葵:湊くんに同情するわ

苓:湊くんて刹那君のお友だちでしたよね。刹那君友達出来て良かったですねぇ、私心配してました

綾乃:別の意味で女の子を不安にさせてるね!

希愛:まぁ実際こんなに早く落ち着くとは思わなかったよね。ほんと湊には今度何か奢ってあげなきゃ。何好きなんだろあの子

綾乃:今度聞いてこようか?私、時々湊くんと話すよ

希愛:わーほんとですか!?あ、ライン交換していいですか?時々状況聞きたいです

綾乃:いいよー!てか皆で交換しようよ!QRコードでいい?

櫻子:さくちゃん的にはぁー、えんじぇうネタで弄られた時の希亜たんの反応が知りたいな?

梓:かわいい、よ

理音:あれ、希亜とも知り合いなんだ?

梓:うん、刹那経由で。すごく、かわいい。こないだ、ベタ惚れだねって言ったら、べたぼれ……って呟いて、赤くなってた

櫻子:かわいい……

苓:かわいいですね~

葵:今度私も弄ろっと

希愛:ほんと可愛いんだよ!こないだ会ったときに、耳元で適当に作ったせつきあの濡れ場描写して囁いてみたんだけど

理音:なにしてんの?

櫻子:それが作れるキミにあとでお話をききたいナー?

希愛:まぁまぁそれは置いといて。そしたらなんでもない顔してたんだけど、段々耳が赤くなってきてね?

綾乃:かわいい~!

希愛:囁きながら、それっぽいところでそっと首に手を這わせてみたわけ

苓:希愛ちゃん、だんだんセクハラじみてますよ?

希愛:そしたらビクッとして「ふぁっ」てかわいい声で

櫻子:ンッ……それなんてピクシブ……!!

綾乃:ぴくしぶ?

理音:まって櫻子、あんたが腐女子だって情報は掴んだことなかったんだけど?怪しいんだけど?

梓:思春期……だね……

葵:若いわね~

苓:湊くんがちょっと可哀想なような……

希愛:んで可愛い声~っていじったら煩いって小声で言って本気で睨まれた

理音:湊おっつ

梓:弄り方が、えぐい

葵:やっぱり?

梓:えぐい……それは、やばい

葵:思春期のオトコノコにはツラいよね~希愛ちゃんなかなかやり手ね?

希愛:え?

櫻子:なになに?希愛っちが床上手だって?

希愛:え?え??

葵:可能性あるわね

希愛:ちょ!?ちょっと、さくちゃん先輩!?

苓:希愛ちゃん……そうだったんですね、いつお勉強したんですか……?まさか刹那くんと実は

綾乃:ウソでしょ、最近の中学生そんなにませてるの!?

希愛:ストップ!まって!それ広めないでよ!?違うからね!?湊に知られたらあいつ絶対拗ねるから!!

梓:刹那に言っておく

希愛:殺される!殺されなくとも部屋に侵入されて帰りを不敵な笑みで待ち構えられる!!

櫻子:いないときに侵入されるの!?いくらえんじぇうでもそれはヤバくない!?

梓:刹那、前に、パンツ盗んでこれるって言ってた、よ

葵:刹那くんも刹那くんね……

綾乃:え……あれ……?私がおかしいの……?幼馴染みってそんなもの……?

理音:そんなことないから安心して綾乃

希愛:あとであいつシメて問いただす

椿:呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!!!

苓:!?

葵:!?

理音:!?

椿:あ、梓いんじゃん。お前帰れるよ?さっきシバいといたから

梓:……どういう、こと?

椿:アイツ俺んち来たから追い出した。そんだけ。あ、そこにいたから刹那捕まえてきたんだけど要る?

刹那:なぜ首根っこをつかんで持ち上げられているのか……

希愛:オーケー、よくわかんないけどとりあえず刹那はこっち。話があるの

葵:椿はこっちね

刹那:は?希愛?

椿:あっ葵!なに?俺に用事?二人きりで?へへっ俺のセキネンの想いが報われる時が来た?

葵:報われないわ。永遠にね。

希愛:大丈夫、あたしたちもう想いなんか関係ないもんね?あたしとあんたの仲だもんね?じっくりお話しましょう?

刹那:え?なに?なんで希愛怒ってんの?つーかなにこの不思議な面子?

希愛:ちょっと失礼しますね

葵:私もちょっと抜けるわね?ごめんね、少し待ってて?

椿:いだっ!?耳引っ張んな!首もダメっ……絞まる絞まる!!歩くから!!

刹那:いや何?話なら外でもっと待てお前なにしてなんでバケツ持っ……嫌だ嫌だ外やだなんでなんでなんで怒ってんの!?何!?まってやだ放せ放してやだやだぁっそれやだっやーーー!!!


バタン


梓:……あ、じゃあ、俺も……帰る、ね

理音:あ、うん。ん?なんで裏口?正面から出てけば?

梓:ううん……ここの裏道、椿のテリトリーだから……安全、なんだ。じゃ、御馳走様。また、ね

櫻子: ばいばーい

綾乃:……

苓:……

理音:……

櫻子:……

苓:……静かになりましたね

理音:いや……なんつーか、襲来……?

綾乃:突然来たよね椿さん……

櫻子:ううーん、えんじぇうが可愛かった

苓:恐ろしくキャラ崩壊してましたね……帰ってきてから拗ねそう……

理音:あれが素なのか……?

綾乃:さらっと葵さんが盛大な天の邪鬼をかましてたけど

櫻子:えっまじ?えんじぇうばっか見てた

苓:あ、あれですね。「報われないわ、永遠に」って

理音:うわぁ……さっきまでベタ惚れだって自分で言ってたのに

櫻子:でもわかるよ?好きだから素直になれないってあるよねっ!

綾乃:え、そう?

理音:櫻子あんの?

櫻子:ねっれいれい?

苓:えっわっ私ですかっ?ええと……そう……いうこともありますね……?

綾乃:おやっ?苓ちゃん真っ赤だよ?

理音:おっと~?何想像したのかなぁ?

苓:ち、違うんです!別に何もっ……!ニヤニヤしないでくださいっ!!

櫻子:れいれいかわいいなぁ~!

苓:そっ、そう言う櫻子さんはっ!どうなんですっ!?

理音:お、反撃に出た

櫻子:いいよ~?さくちゃんの話しよっか?

苓:えっ、いいんですか

綾乃:さくちゃんの話ききたーい!

理音:これは苓の負けかなぁ。じゃあ櫻子の次に苓ね

苓:え、ええ……話すんですかぁ……

櫻子:おっけー!聞いて、さくのロマンス!

理音:ロマンス……

綾乃:理音ちゃん、目が輝いてるよ?


【5月某日 高校生と櫻子】
 明るくて淡い色の壁紙。大きな窓から差し込む日差し。外に見える青々とした木々。
 穏やかな時が流れる開放的で巨大な建物の中で、櫻子はちょこんと長椅子に座っていた。
 まだ「ちょこん」という擬態語が似合う年齢だった櫻子がここにいるのは、ここが母親の職場だからだ。
 まだ体に対して大きく思えるランドセルを膝の上で抱えて、暇そうに上を見上げる。天窓から見える空は青かった。
 開放的で巨大。穏やかで静か。小学生には物足りないここの名前を、「病院」という。
 当時の櫻子はよく知らなかったが、病院にしてはきれいな方だった。入院設備を備えた所謂総合病院で、最近建て変えてお洒落な作りになったのだ。
 外には走り回れそうな芝生と登れそうな大きな木が見えるが、一人で走り回っても楽しくないこと櫻子は既に悟っていた。
 ピークが過ぎて静かになった待合室の隅で、櫻子はランドセルから本を雑誌を取り出した。
 昨日母親に買って貰ったものだ。小学生向けの、所謂漫画雑誌。学校には本当は持っていってはいけないが、こっそり持ち込んでいたのだった。
 それを膝の上で開く。巻頭の女の子向けアニメのページは後回し。この頃の櫻子が楽しみにしていたのは、毎週日曜日の朝にやっていた「幽幻戦隊ゴシックレンジャー」だった。
 今月の付録は、アーケードゲーム機で使えるゴシックレンジャーのカードだった。わくわくしながらビニールを破ったが、その拍子に中に入っていたカードを落としてしまう。
 拾おうと身を屈めたが、それより前に誰かの手がカードに触れた。
「落ちたぞ。……なんだこれ、『ゴシックレンジャー』……?語呂悪くね?」
自分より大きくて、絆創膏だらけの手。その主は、同じように絆創膏だらけで頭に包帯を巻いて左手で松葉杖を持った少年だった。
「あっ、さくの!返して!」
ぴゃっと櫻子はカードを奪い返す。それから彼が拾ってくれたのだと気付いて「忘れてた、ありがと!」と付け加える。
 改めて少年を見た。頭の包帯が目立つ。頬には湿布のようなものが貼ってあった。カードを拾ったのと反対側の手には包帯が巻いてあり、腕やら足やらそこらじゅうに絆創膏がはってあり、極めつけに右足にはギプスをしていた。
 櫻子はよくここに来ている。骨折の患者も手術後の患者もよく見ている。が、どうみてもここまで酷い人は初めて見た。
 だからその質問はぽんと口から出た。
「おにいちゃん、そのケガ、どうしたの?」
「あ?」
「」