ノートのすみっこ

せつきあの小説置き場

告白 #2

初出:2015-08-17

前回はこちら yamabukitoka.hatenablog.com


 永久のような上位の軍人は、体を動かすよりもデスクワークが多かったりするのだが、彼らが働く建物からしごかれる兵士たちを見ることは勿論出来た。
 赤いレンガで作られた明治初期を思わせる建物の、白く塗られた両開きの窓から、青空の下のグラウンドを見下ろしていた。
 一律にカーキ色の服を着た兵士達が蠢く中、一人の兵士が走っている。ただ、ヘトヘトのようだ。
 なんとか教官の前まで走りついたその兵士は、瞬間バタンと地面に倒れ込んだ。
「お疲れ様ー!」
永久はそこへ届くように声を張り上げ、手を振る。教官が振り返り、兵士は凄まじいバネで飛び起きて敬礼した。
 あ、こっち向いた。
 相変わらずの無愛想な顔に、敬礼の一つもしない不届き千万な態度だ。普段はきちっと礼儀通りに対応しているのに、自分にだけそんな態度を取るのが楽しくて、声をかけてしまう。
「刹那はー?」
「中で筋トレー」
小さく高山の声が届く。アルビノである彼の弟は、太陽光の下走ろうものなら命が危ない。あまり顔を知らないが、ということは今走っていたのは希亜だろう。
「なにしてんの?」
 今度は室内での声だ。永久が振り返った先で、銀髪の兵士が立っている。
「見てるんだよ。懐かしいなーと思って」
「へぇ、兄ちゃんにもそんな時期があったんだ……」
「刹那、筋トレ終わったんだ?」
永久の隣で外を覗いた刹那が、「へっ?」と上擦った声をあげた。
「なんで兄ちゃんがそれ知って」
「おい刹那、なんでそこにいる」
めざとくグラウンドから彼を発見した高山の声に、刹那が飛び上がる。
「げっ、教官、なんでいんの……!?」
「さっき行ったばかりだよな?ノルマはどうした?」
刹那は答えない。焦った表情で左右を見回して逃げ道を探している。
「に、兄ちゃん、ここから一番近い階段は」
「こら!いくら兄弟だからって制服着てる間は敬語使えって言っただろ!」
お前が言うか。思わず飛ばしかけた言葉を飲み込む。
「うぇっ、そうだった。さっさと逃げなきゃ」
右往左往していた刹那の視点が定まった。どうも彼なりの「入ってきた高山と一番遭遇しないコース」をシュミレーションし終えたらしい。
「ではっ、天羽参謀長!失礼するでありますっ!」
どこか得意げな様子でビシッと敬礼した彼は、全身の瞬発力を駆使して床を蹴った。
 働く場所が違う分互いの訓練の成果を見ることはほとんどないので、永久はその後ろ姿を満足して見送った。虚弱体質で生まれた彼が、こんな風に元気に生活しているのは永久にとって喜ばしいことで他ならない。
 さすがはぇーな、と呑気に見ていた永久に、入れ代わりで「何をしているんだ?」と声をかけた人物がいた。
「あ……司令」
ロマンスグレーやダンディーという言葉がよく似合う男性が、永久の横に立つ。ここの基地司令であり、永久が直接に上司とする相手だ。
「訓練を見ていたのか。最近、やけに熱心だな」
「あはっ、バレてました?」
からりと笑い、グラウンドへ視線を戻す。高山が急いだ様子で希亜に指示を出していた。
「なーんか見ちゃうんですよね……あいつ、学校時代からのライバルだった筈なんですけど、あっちは全然俺のこと気にしてなかったみたいで」
悔しくて、と言う横顔を眺めて、司令は「憧れているのか」と問う。
「憧れてましたよ」
「今でもそうだろう。長年男ばかりの基地で暮らしていると、こんな感情も忘れてしまうが……」
溜めるように言葉を切る。永久が視線を向けると、司令はにこりと笑った。
「今のお前の顔は、まるで片想いの人を眺める乙女のようだ」
「……へっ?」
永久の声が上擦った。
 思いもする訳がない比喩だった。恋する乙女?自分が?性別どころか清純さも合っていない。恋に恋するほど夢見がちな年齢はもう過ぎているし、美しい幻想を抱くほど世間知らずではない。愛とか恋とかいうものが純粋さを持って行われはしないことなど身を以てだって体験している。色々な人の想いを無下にしたし、時には利用したし、逆にあっけなく散ったこともあった。その自分が乙女だと?
 永久の頭は、この予知しない事態をフィクションと処理した。
「やだなー司令、冗談キツいですよ。学校時代は女タラシとか呼ばれてた男ですよ、俺?」
「そんな男が純粋に誰かに憧れるとは、なかなか乙ではないか。キラキラしていたぞ」
「……まじっすかー……」
司令があまり冗談を言わない質なのは、実は永久もわかっていた。受け入れ難い事実を持て余して、永久は窓辺に項垂れる。
 キラキラか、とグラウンドをもう一度眺めた。澄み渡る青空に少し雲が浮いて、兵士たちの汗が輝いている。もう高山はいない。希亜が他の教官の訓練に混じっていた。  そこへ、轟音が近付いてくる。
「くっそ、体力化け物かよあいつ……!って、うわ、兄ちゃ……参謀長、まだいたんですか!?」
「……お前、まだ逃げ回ってたんだ……」
そしてもう体力限界なのか。
 再度現れた永久の弟は息を切らしていた。ゼェゼェ言っている。軍人にしてはちょっと持久力が無さすぎる気がした。陸軍じゃないから持久力が無くていい、という訳ではない。
「体は大丈夫か、天羽少尉」
「っあ」
弾かれたように顔を上げ、刹那は硬直する。弟の心境など見えていた。逃げなきゃ。でも答えなきゃ。だけど逃げなきゃ。
 ただ、基地司令を無下に扱う権利は、刹那には無い。
「お陰さまで、なんとか」
「そうか。我々が貰って本当に正解だった。陸軍じゃその才能を我々よりも持て余していただろう」
「そう、です……ね……」
歯切れの悪い返事は、刹那が全方向を全力で警戒しているから。無駄な集中力、と呟いた永久の声も届いていないようだ。
 陸軍の選考から外れた刹那を拾い上げ、その才能を見越して即戦力として育て上げようと決めたその人が基地司令だ。刹那はがここに居られるのは司令のお陰で、その恩を冗談でも忘れた振りなどできない。
 そう――たとえ追っ手が来ているのに、気付いていようとも。
 永久に気付いたのだから、それ以上の集中力を以て最大限に警戒していた刹那が気付かない訳が無いだろう。軽快な足音が近づくと、みるみる表情が絶望に変わった。
「あ、司令、そいつ引き止めといて下さってありがとうございます」
「ちくしょう来やがった!」
「何が来やがったださっさと捕まれクソガキ!」
廊下を走ってきたその勢いで刹那のツナギの首根っこを掴む高山。「そうかそうか」と笑う司令は確信犯か否か、と永久は一人で賭けをする。
「うっ……兄ちゃん」
「参・謀・長!」
高山に怒鳴られてびくりと小さくなる弟に、永久は「その体力の無さは頂けないだろ」とにやりと笑ってやる。
 それにしても、刹那と同じ基地に配属されて2年経つのに、未だに刹那の呼称のクセは変わらない。時折しか会わないから高山は知らなかったかも知れないが、2年間このままなのである。こいつ変える気ないな、と永久は確信している。
 本音を言えば変わらないだろうと最初から踏んでいたし、一向に構わないのだが。
 首根っこを掴んで持ち上げられた刹那は「いいんだもん……射撃できればいいんだもん……」とぶつぶつ呟いている。しかし、この状況が高山の筋力よりも刹那の体重によって作り出されたものであることは誰から見ても問題だった。
 やっと降ろされた刹那は、それでもなお掴まれたままである。
「いいか、お前らが何のために訓練してるかわかるか」
「えっと……上手くなるため?」
「違う。戦場のいかなる状況に置いても適応し、対応し、生き残るためだ。飛行機っていうのはな、海軍のように一所に大勢が集まらなきゃ一つの行動をできないものでもなければ、陸軍のように限られた小さな範囲内でしか行動できないものでもない。一人一人が戦力となり、広い範囲で行動できる。ただし、その分何かあった時に素早く救出できないという大きな欠点がある。わかるな?」
「うん 」
「お前はただでさえ虚弱体質なのにそんなゴミみたいな体力で、雪山に不時着したときどうするつもりだ。頭だけはいいから、食いつなぐ方法や暖を取る方法は思い付くかも知れないが、それだって素で耐えられる力がある程度あるから生き延びられるんだろ。それともそんなとこで人知れず野垂れ死になんて威厳もクソもないカスみたいな終り方したいか」
「……でも、辛いんだもん」
「そりゃそうだ。俺も嫌いだったしな。でも、だからってやらなくていいモンじゃないのもわかっただろ。――仕方ない、良い方法教えてやるから、とりあえずお二方に謝れ」
説教を聞いていた永久が瞬きする。謝る?何を?と思ったが、どうも刹那には通じているらしい。刹那は神妙な顔つきでこちらを向くと、ビシッと美しく45度に頭を下げた。
「見苦しいところをお見せして、すみませんでした」
そういうことか。
 いや実の弟だしもっと見苦しい所に見てるし、と思うが、社会的には正しい行動だし、相手は自分というより基地司令の色が強いだろう。その司令は笑って「良い良い。これからは励めよ、若者」と返答した。
「すみません、お邪魔しました。失礼します」
高山の敬礼に敬礼で応えて、去っていく後ろ姿を見送る。
 永久は小さくふーんと声を漏らした。
「ちゃんと教官やってんだ、あいつ……」
しかも見ている限り、良い教官だ。なんだかんだ言って人見知りの弟に懐かれている。
 それを聞いた司令が、おや、という顔をした。
「なんだ、お前が見ていたのはあの教官だったのか」
その言い種に、永久は首を傾げる。
「ご存知なんですか?」
「そうだな、教官の界隈と、あの少尉に関わる者のなかでは有名だと思われる。若いのに芯があって良い男だと思うがね、私は。若かったら憧れていたかも分からん」
「……そう、なんですね」
聞いたか。すごいだろ、あいつは!
 言う相手もいないが、そう自慢したかった。褒められたのは高山に憧れる自分ではないことなど百も承知だ。それでも、彼が褒められたことがなぜだか誇らしい。
 さて、と司令が踵を返す。
「こないだの会議の内容を纏めて、審議しなければならんな。英語の資料もあるのだが……手伝ってくれるな?」
「もちろん、なんなりと!」
永久は上機嫌で返事をした。

 軍人は基本的に寮生活で、独身なら尚更基地の外から通っている人はおらず、基地内の寮に一人一部屋割り当てられている。
 永久は自分の部屋でベッドに寝転がると、ふっと目を閉じて今日の出来事を回想した。
 なにより衝撃だったのは、司令の一言だろう。
(片想いしてる乙女……か)
まさか、あり得ない、と安易に切り捨てられる性格ではなかった。他人にそう見えたのならそうなのかも分からない。
(片想い。……恋?)
回想の内容を、彼のことに切り替える。
 兵士たちの集団を見かけると、ふと探してしまうのは。
 見かけるとどうしても声をかけたくなってしまうのは。
 自分だけに違う態度をとったりすると、何でもないことでも嬉しくなってしまうのは。
 必要とされると、それが明かに永久の身分に合わない雑用だったとしても、全力でこなしたくなるのは。
 何をしてでも――できれば穏便な方法で――あの紫黒の瞳をこちらに向けさせたいと思うのは。
 このことを考えている間、心に何一つわだかまりなく心地よいのは。
(これが、……好きって、こと、かな)
ごろん、と寝返りをうつ。
 よく考えたら、本当の意味で人を好きになったことなんてあっただろうか。告白されて、可愛かったから付き合い始めて、行き違いが出たり面倒くさくなったりしたら別れていた。自分から誰かを欲して、好きになって、必死になるなんて、今まであっただろうか。
「……ふふ」
あははっ、と零れた笑みは、自嘲を含んでいた。
 軍は男所帯だ。女性も平等に募集されているが、それでも男性の方が圧倒的に多い。そんな場所で、命の危機と隣り合わせで常に生活しているわけで、アブノーマルな性癖の扉を開く人も同性愛に目覚める人も一定割合存在する。誰がそうとは分からなくても、話自体は珍しいことではない。
 だが。
「あはっ……これ、初恋って言うのかなぁ」
独り言に返事はない。初めてする恋――される、ではなく――だというなら初恋と呼ぶのだろうか。その相手が、学生時代に対抗心を燃やし続けた男なんて。女タラシの初恋、笑える、と呟いて、目を閉じる。
 どうすればいいのか分からなかった。恋と断定するのは違和感がある。この感覚が好きというものなのかどうか、「された」ことはあっても「した」事はない永久には判別がつかない。いや――もしかしたら、つかないことにしている、のかも知れないが。どちらにしろあの人が好きだと自信を持って言える状況ではなかった。自分に告白しに来た女の子の顔をひとつひとつ思い浮かべて、よく自分が好きだってわかったな、と感心する。
 埒があかない。眠くなってきた。
 永久は跳ね起きると、無理やり伸びをした。
「風呂入って寝よっと」
考えるのは、また今度。
 高山に会わないように、と密かに願いながら、永久は大浴場へ向かった。

(あー……マズった、これは、永久様としたことが)
 欠伸をして、のろのろと部屋を出る。
 基地の一日は朝礼から始まる。それまでに朝食を含め各々身支度を済ませなければならない。
 例え半分寝ながら朝食のパンを口に運んでいても、その後身支度して部屋を整え、きっちり制服を着込めば、だいたいいつも眠気は覚めていた。始業時間には働ける状態だった。
 ただ、今日は、徹夜明けが如く体が重く、眠かった。冷水で顔を洗っても全く睡魔は退治できなかった。
 理由は永久にはにも分かりきっている。昨日「また今度」にできなかったからだ。寝転がってはいたが、ほぼ徹夜状態。馬鹿だろ、と永久は深く溜め息をつく。
 廊下は人通りもそこそこ。上官である永久は模範が如く胸を張って歩くべきなのだろうが、今日はむしろフラフラしている。
 そんな永久を、誰かが掴んだ。
「っ!?」
勢いよく腕を引っ張られて、部屋と部屋の間の細い通路に引きずり込まれる。壁に背中を押し付けられて、ぐいっとネクタイを引っ張られた。
「ちょっ、苦しッ」
「ああ、悪い」
え?と顔をあげる。その声は。
 見ると、高山が真剣な顔で目の前にいて、そして彼は、するりと永久のネクタイをほどいた。
(…………え?)
は?何してんの?
 理解不能なものにぶち当たり、それを理解すべく、永久の頭は高速で回転する。
 朝。細い通路。人目がない。真剣な顔。強引。逃げられない。近い。香りがする。手が触れる。
 ――「すんなりと理解できる」答えは見つからなかった。
 心臓が早鐘を打つのがわかった。近い。匂いがする。目が合う。え?先輩、まさか、俺、これは、何考えて。
 顔が見れない。むしろ身動きが取れない。がちがちに硬直して、永久は何かされるのを待っていた。自分の予想を、せめて裏付けるような、行動を。
 高山の手が離れた。「はい」と言われて、永久は瞬きする。
「できた」
とん、と胸の辺りを人差し指で突かれる。見ると、それは、ネクタイの結び目だった。
「ちゃんと結んでくださいよ。そんなこともできないんですか、ガキが」
「え、あ……ごめん、眠くて……そんなに変だった?」
「どこのクソガキだってくらいの目茶苦茶具合でしたよ。お前がそんなんじゃうちの脱走犯と低血圧に示しつかない」
「あ、ごめん……?」
「ったく、しっかりしてくれ」
それだけ言い残し、高山は踵を返す。
 残された永久は、崩れ落ちた。
「っあー……」
額に手をあてる。
 やられた。
 何考えてんだ、と溢す。自分が、だ。自分はさっき何を考えた。何を期待した。なんでそう考えた。
(あり得ないだろ、普通……)
大きく溜め息をつく。
 ぐだぐだと考えていた昨日の自分を後悔した。こんなイベントが今日用意されているなら、悩んで寝不足になる必要なんかなかったのに。
 こんな風になってしまえば、認める他ない。
 否定したくても根拠がゼロだ。
(これが、好きってことだろ)
 はは、と小さく自嘲して、立ち上がる。眠気は勿論吹っ飛んだ。
 心が軽い。認めてしまえば、やることはただひとつで、こんなにも楽だったのだ。今なら自分に媚を売ったり告白したりしてきた女の子たちと理解し合える気がした。
 こうなったら、絶対に、先輩を振り向かせてやる。
 にたりと笑う。
 誰も知らない宣戦布告をして、永久は朝礼へと走り出した。


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