ノートのすみっこ

せつきあの小説置き場

告白 #4

初出:2015-08-26

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「小説のためであっても焼死体は検索してはいけない」っていう教訓が書き残されてた。馬鹿野郎当たり前だ見る時は覚悟しとけかつての私



「基地司令より、正式に国連軍への参加が決まったとの連絡があった」
 会議室で円卓を囲む教官たちは、そのリーダーとなる人へ視線を向ける。
「紛争地帯が海を挟んで隣なので、この基地から出撃することになるだろう。正規兵は勿論出撃するが、君たちが面倒をみている少年兵については、参加は教官の判断とする。これから出撃するか、しないかを訊いていくが、現時点では保留もアリだ」
教官たちはそれぞれ険しい顔をした。自分の判断が、もしかしたら若い命を失わすことになるかも知れないのだ。
 教官長、と誰かが手を挙げた。
「発言を許可する」
「はっ。前の戦争では、そのようなことは訊かれませんでした。今回、少年兵の扱いについて変更点があるようならば、教えていいただきたく存じます」
「そうだな、その通達はまだ行っていないようだから、先に話しておこう」
教官長は手元のパソコンを操作し、円卓の前方にあるスクリーンに箇条書きされた文書を表示した。
「これが今回の変更点だ。前の戦争での反省点を踏まえている」
教官たちは黙ってそれを読む。教官長は指さしながら解説を加えた。
「大きな変更点としては、少年兵がまだ技術的に未熟であることを踏まえ、教官と相談して実力に見合った任務をさせることになった点だ。前の戦いでは無理な任務によって命を落とした少年兵が――高山、大丈夫か」
奥の方で、はぁ、と苦しそうに息をついた一人の教官。隣に座る別の教官が彼の身体を支えている。本人は円卓に手をつき、具合の悪そうにしていた。
「すまない。苦しいようなら、退出を認めるが」
「それには、及びません……話を、続けて、下さい」
荒い呼吸にまみれた声を聞き、教官長は咳払いする。
「よって、参加させるか否かも自由だし、何の任務をやらせるかも教官の決断に依ることになった。参加してみて、途中で精神に異常をきたした場合も申し出れば対応ができることになっている。戦場は生死の境目、生半可な覚悟では生きていけない場所だ。屈強な正規兵へ成長するためにも、プレッシャーの調節をしてやってほしい。それでは、参加するか否かを問うぞ」
こういう時、基本的に参加しないという選択肢をとる教官は居なかった。前に紛争地帯への補給任務を行った際も、参加しなかったのは一人だけである。しかし今回は「保留」という答えがちらほら出た。
「佐藤」
「参加します」
「篠崎」
「保留します」
「下野」
「参加します」
「高瀬」
「参加します」
「高山」
「参加します」
「遠野……は?待て、高山お前今何て言った」
「え、参加します、って……」
その場が静まり返った。カターン、と教官長がボールペンを落とした音がする。
 そして一斉に「ええええええ!?」と声が上がった。
「嘘!?お前どうした!」
「気は確かか!」
「間違いか、だったらそう言え!」
「まだそんな状態なのに行かせて大丈夫か!」
「まずいまずい、俺高山のとこ最初から不参加って書いといたんだよ」
「教官長何してんすかwwww」
「いや驚いた。大丈夫か、高山」
「ほら!教官長も心配してるぞ高山!」
「周りのことなら気にするな!俺たちはお前の味方だ!」
「正規兵に何と言われようと!」
「高山は!」
「俺が守る!」
「おい誰だ今高山を自分のものにしたヤツwwww」
立ち上がってわぁわぁぎゃあぎゃあと口々に言う他の教官たちに、当の高山は「いやあの」と弁解しようとするが、最早彼らには聞こえていない。
「無理しなくていいんだからな!」
「そうだぞ、相手は参謀長の弟だろ!?早まって命落としたらまずいぞ!」
「えっ参謀長の弟なの!?」
「やべぇじゃん!」
「高山大丈夫か!ストレス溜まってないか!?」
「色々溜まってないか!?」
「大佐からオカズ借りてこようか!?」
「話変わってんじゃねーかwwww」
「あの、話聞いて貰っていいすか」
「おうよ!存分に話せ、我らが教官部最年少!」
「存分に悩め、うら若き教官よ!」
「そして青春を謳歌しろ!」
最早話せる状況ではない。
 見かねた教官長が手を叩いて鎮める。教官たちはいそいそと席にもどり、そしてじっと高山を見つめた。
「いや、俺は、お恥ずかしながら、こんな状況なんですけど」
こんな状況、が先程の高山の体調変化を表していることは、その場の全員がわかっていた。彼らは勿論、高山が改めて言わなくても、その原因もわかっている。だからこそのあのさわぎようなのだが。
「ただ、出撃するかしないかはそこが問題ではなくて……俺は、あいつらに、生きて帰ってこれるだけの実力があると思うから、決めたんです。正式な出撃は来年ですよね?それまでに、中身はともかく、技術だけなら一人前になれる見込みがあるから」
ざわ、とまた空気が動いた。教官たちは口々に「まぁあそこ二人とも鳴り物入りの入隊だったしなぁ」「教官自身も成績良いし」「そんなにかぁ」「負けてらんねーなぁ」と呟いている。
「そうか、でも、そうするとお前への負担も大きくなるぞ」
「教官長、お心遣い、感謝致します。しかし、あいつらは我が軍の主戦力となりうる存在。俺の勝手な都合でその芽を摘み取ることは出来ないし、育て上げるのが、……逃げた俺の、仕事であり使命ですから」
高山は俯き気味にそう言った。彼の事情を知る教官たちはそれぞれに悲痛さを滲ませる表情をする。そうやって背負い込んでいるから皆心配するんだ、と正直に言えた者は、一人もいなかった。
 教官長はしばらくの沈黙の後、普段の調子で声をあげた。
「では、今回から高山にも参加して貰おう。もし何かあったら、快く手伝ってあげてくれ。それでは続きを聞いていくぞ。遠野」
「あっはい、保留します」
「根本」
「参加します」
 その声を遠く聞きながら。
 高山は唇を噛んだ。

「な、なんだって!?」
 基地司令の声に、永久がびくりと肩を震わす。
 窓から見える空は青く、雲ひとつない。今日も絶好の訓練日和だ。永久の弟を除けば。
 その兄たる永久は、眉をひそめて振り返った。
「びっくりするじゃないですか。どうしたんです?」
「いやすまん。これは、間違いではないのだな?」
基地司令に何かを提出しに来ていた男性は「はい」と頷く。
「いやはや、我々も驚きました。最初に言われた時は大騒ぎでしたよ。でも、本人は決意しているようだったので、その意思を尊重した次第です」
「そうか、いつかその日が来ることは、あいつも分かっていただろうしな……ふむ、これは永久に言うか迷うな」
「司令、それ本人がいるところで悩まないで頂けませんか?気になるじゃないですか」
「そうですな……どうもあれは、参謀長と懇意にしているようですし」
「教官長も……。誰の話です?」
司令の背後で書類整理をしていた永久は、ついに席を立った。そして二人の側へ寄っていく。
 そして書類を覗き込んで、眼を瞠った。
「……高山?」

 同時刻、体育館。
 高山は後方の壁に寄りかかっていた。
 前方には整列した少年兵たち、そして更に前方に、ベテランの教官。
「来春から始まる国連軍による介入では、少年兵の皆さんも参加し――」
マイクを使って話す教官を、少年兵たちはじっと見ている。
 そのなかで一人、刹那だけが、時おりチラチラと後ろを振り返っていた。
 言いたいことは分かる。
 聞いてない、という文句だ。
 それに対し高山を重く頷く。
 言っていない。
 前向け、と指で合図して、高山は開け放された窓の外を見る。
 今が9月であるということを考慮すれば、人はこの天気を「秋晴れ」と呼ぶだろう。しかし、今日は一般的な「秋」のイメージに沿った気温ではない。長袖では汗が吹き出す暑さだ。
 窓の外の地面には、陽炎が立っている。ゆらゆら揺らめくコンクリートを見つめて、高山は話を聞き流していた。
「皆さんの中には知っている人もいるかもしれないが、前の戦争では――」
陽炎が揺らめく。
「少年兵は前線に立たされることもしばしばあり、無理な任務に命を落とした人も沢山いました」
 その時。
 突然、陽炎は炎に変わった。
(……え?)
高山は瞬きしようとした。まだ、これは幻覚だ、という自覚はあった。しかしその炎から目を離す事ができない。
 赤と橙と黒の炎は大きくなり、高山の視界を覆い尽くす。
 どくん、と心臓が痛いほど跳ねた。
 その向こうに、黒く人影が揺らめいた気がした。
 彼の視線はそこに釘付けになる。
 まるで、あの日の記憶に飛び込んでいくかのように。
 見たくないと叫ぼうにも、喉が熱で乾いて動かない。
 人影が明確に形成されていく。
 黒く、見覚えのある形に。
 懐かしい形に。
 人影が振り返る。
 そこに、記憶が重なる。
 すすに汚れた顔が、醜く腫れ上がる火傷が、おぞましくただれる肌が。
 薄紅色に肉が見えて、剥がれた肌は焦げていく。
 短い黒髪は端から燃えて、火傷は顔全体を覆う。
 もはや人の形を留めぬ肉塊に近づいていく。
 肌の焼き切れた顔の中で、瞳だけが爛々と輝く。
 切れた唇が開く。
 それが紡ぐ言葉は、音は、抑揚は、全て、高山の脳の中に、鮮明に刻み込まれていた。
『       』
 瞳孔の開いた眼が、高山を捉え、射ぬく。
 瞬間、舞い上がった黒い灰が、世界を塗りつぶした。

 高山は。
 その時自分が倒れたことも
 その音を聞いてその場の全員が振り返ったことも
 その中で真っ先に動いたのが刹那と希亜だったことも
 その二人が教官!と悲痛に叫んでいたことも
 その目には涙を湛えていたことも
 知覚していなかった。

 教官長!と司令室に人が飛び込んできたのは、ちょうど体育館では刹那と希亜が高山にしがみついている頃だった。
「申し訳ありません、自分が、不用意な発言をしたせいで……!」
その一文で教官長と基地司令は何が起こったか大方把握したようだった。
 取り残された参謀長――永久は、物々しい雰囲気に呑まれて質問したくてもできないでいる。
「……どうする、教官長」
「……こればかりは、本人に再度確認するしかありませんな……」
そうだな、と頷き合って、二人は重い面持ちになる。教官長は駆け込んできた男を振り返ると、「あまり自分を責めるな」と優しく言った。
「出撃の説明をする以上、あの話を避けることもできないだろう。この暑さも加わって、より鮮明にフラッシュバックしてしまったに違いない。あれの目が覚めたら、一言謝ってやれば良い。同情されるのは嫌いな質だからな……一言でいいぞ」
男性は、申し訳ありません、と言いかけて、わかりましたと発した。「彼は医務室か?」と基地司令に聞かれ、弾かれたように顔をあげると「はいっ!」と返事をする。
「お前は体育館に戻れ。あれの元には俺が行く。他の少年兵たちもさぞ混乱しているだろうから、そちらをケアしてやれ」
「はっ!」
教官長からの命令に、男性は勢い良く答えると、司令室を飛び出していった。
 その背中を見送って、教官長は次に永久を振り返る。
「参謀長。貴方も行かれますか?」
突然話を振られた永久は困惑する。
「えっ……と、あの、恥ずかしながら、全く状況が読めていないのですが……基地司令」
基地司令を見上げた。参謀は司令の秘書、参謀長の上司は基地司令だ。彼は静かに頷く。
「お前、高山教官に興味があると言っていたな」
「え、あ……はい、それが何か……」
「今医務室にいるのは彼だ」
え?
 永久が固まった。いままでの「なんだなんだ騒がしい」とでも言いたげな、野次馬のそれに似た他人事の雰囲気は、完全に霧散した。
 一気に緊張が走る。俺の素晴らしく格好いい先輩がなんで医務室に?と、永久は無意識領域で思った。それは意識領域に焦燥感を与え、それは身体にGOサインを下した。
「お前が本当にあいつを理解したいなら、行った方が良――」
「行かせていただきます!行きましょう教官長!」
基地司令の言葉をぶった切って、永久は教官長の手を掴むと、部屋の外へ飛び出した。
 基地司令がやれやれと溜め息をついただけで温かく見守ってくれているのをいいことに、永久は教官長の手を牽いて走る。全力で走る。
「教官長、状況を教えていただけますか!」
「少年兵を体育館に集めてっ、国連軍への参加についてのっ、説明をしていたら……!高山が倒れまして!」
「走りながらの手短な説明ありがとうございます!流石です!」
「誉めなくて良いのでもう少し緩めて下さい参謀長!俺は貴方と違って若くないんですから……!」
「何を言いますやら!」
普通の50代の男性が、19歳の全力疾走にここまでついてこられる訳がない。教官長の体力と身体能力は衰えていないに違いなかった。
 医務室の主な利用者は前線の兵士であることを考慮し、兵士たちが普段利用する建物に医務室はある。司令室からだと少し距離がある。
 階段をかけ降り、廊下を走り、段差を飛び越える。もう永久が手を牽かなくても、教官長はアクロバットなキレのある動きで医務室を目指していた。先程の言葉が完全な謙遜であることが確定した。
 グラウンドに出入りしやすい一階の、医務室の前で走るのをやめ、一旦息を整える。呼吸が荒くなる程ではないにしろ、少し疲れている。刹那をけろりとした顔で取り押さえていた高山を思いだし、あいつやっぱ化け物だな、と心の中で呟いた。
 患者を刺激しないようにゆっくりとドアを開ける。カーテンが閉まっているベッドは1つだけだったので、そこに高山がいるのだろうとすぐに分かった。
 医務室の救護隊員に許可を取って、カーテンを開ける。真っ先に目についたのは、ベッドにしがみつく二人の少年兵だった。
(……愛されてるな、高山)
彼らは振り向くと、目を潤ませて、鼻を赤くして、二人を呼んだ。
「兄ちゃん、教官長……」
「参謀長、教官長……」
普段無表情な希亜までもが泣いているということは、余程ショックが大きかったのか、はたまた刹那からの貰い泣きか。
 孤高ぶっているようで実は泣き虫な弟と、どうも動揺しているらしい希亜に「兄として」後ろから手を回し、ぎゅっと抱き締めてやる。
「どうしよう、どうしよう……!」
「教官、ちゃんと、目覚めるよね……?」
「俺たちが迷惑かけたからいけないのかな?悪いことして、いっつも怒らせてたからっ……」
言い募る二人から、永久は何となく事情を察した。この二人は高山が倒れた原因を、自分同様知らないのである。
 永久は倒れた原因こそ知らないが、刹那の過去なら知っていたし、同じ過去を希亜が共有していることも、刹那から手紙で聞いていた。それが大袈裟なまでの「知り合いを失う恐怖」に繋がっていることも知っていた。
 この国は一度の敗戦を経験し、今は、自衛以外の目的では、同盟国に同調する形で軍事介入へ参加している。
 永久たち兄弟や希亜の世代は、その敗戦することとなる戦争中に、幼少期を過ごしている。兄弟は空襲で街を焼かれ、両親と生き別れてそれきりだし、希亜もその隣街で同じ被害に遭い、父親を失ったという。同じ経験を持つ人は今の少年兵や若い正規兵の中にもたくさんいるだろうし、珍しくもないが、その時に身内を失ったショックが恐怖として心の底に強く残っていることは確かだ。
 同じ経験をしている永久にも、その涙を通じて、痛みが伝わらない訳が無かった。
「大丈夫……大丈夫だ。君たちが原因じゃないよ。ね、教官長?」
永久は原因を知らないといっても、全く情報がない訳では無かった。少なくとも、あの司令室に駆け込んできた男性が直接的原因だ。
「ああ、お前たちじゃない。――君、これをどう見る?」
教官長が話しかけた相手は、後ろで控えていた救護隊員だった。救護隊員は「断定はできませんが」と前置きし、診断を下す。
PTSDかと」
「やはり……か」
「高山教官の場合、原因となりうる心的外傷は十分にありますし、そのいづれも起こったのは一年以上前です。PTSDの特徴的な症状として錯覚、幻覚、フラッシュバック、悪夢といったものがありますが、今回は幻覚かフラッシュバックと考えるのが妥当だと思います。戦争神経症と考えられますが……しかし継続した無感動、無関心といった症状はないようなので……」
二人が考え込む。永久も考え込む。腕の中で希亜が「PTSD?」と尋ねたので、刹那が「post traumatic stress disorder。強い精神的衝撃が引き起こす長期的な精神障害」と解説していた。
「じゃ、戦争神経症って?」
「えっと、確か……前線の戦闘部隊で起こる神経症
そう、と永久は刹那の解説に無言で頷く。戦争神経症には二種類のタイプがあり、戦場で起こる急性のものと、日常生活に戻ってから起こる遅発性のものがある。急性のものはヒステリーがほとんどだが、遅発性のものはPTSDの全体的な症状と同じように、無感動、無関心、悪夢を引き起こす。参謀長という作戦を考える立場に立つにあたって、永久もこれら戦場で起こりやすい精神障害について学んだ。だから知っているが、まさか、こんな身近に患者がいるなんて。
 高山に目をやった。死んだように無表情で目を閉じ、ぴくりとも動かない。これは確かに二人の少年の不安を煽る外観だ。
 そして、永久ははっと思い至る。
「無感動……!」
「どうしました参謀長。何か思い出しましたか?」
「教官長!そうだ、こいつ、絶対に笑わないんですよ。やっぱりあれってそういうことだったんですか!?」
ぱちくりと教官長は永久の顔を眺め、確かに、と考え込む。
「そういえば、教官がわらったとこ見たことないね」
「誉めてくれる時もあるけど、笑ってはいなかったような……?」
弟たちも考え込む。救護隊員は高山のものらしいカルテに何やら書き込んでいた。
PTSD、確定でしょう」
教官長がだろうな、と息をつく。それから刹那と希亜の名前を呼んだ。
「二人とも、一度篠崎教官のところに行ってこい。出撃についての説明を聞いていないのはお前たちだけだ。高山が目覚めたら連絡をしてあげるから、集中してしっかり聞いてくるんだぞ」
永久が手を離す。二人は顔を見合わせると、声を揃えて返事をし、立ち上がる。
「教官をよろしくお願いします」
「お願いします」
礼儀正しく頭を下げると、ぱたぱたと駆けていった。
 救護隊員は二人を見送って、「良い子ですね」と呟く。
「最初にここに人を呼びに来た時も、混乱している様子でしたが、的確に状況を説明できていました。敬語も綺麗でしたし、そのあとも効率良く手伝ってくれました。……問題児と名高いですが、兵士としては逸材かと」
「さすが、これが出撃許可しただけあるな」
永久は教官長を見上げた。その頭には、今まで見聞きした話が渦巻いていた。
 「さすが」「出撃許可しただけある」ということは、普段はしないということだ。
 したのは「原因となる心的外傷は十分にある」教官。
 面倒を見ているのは、「問題児と名高い」二人。
 高山がしたらしい決意。
 「世界一地獄を見てる男」。
 「生意気なチビ」。
 「教官の間では有名な」。
 高山とは、高山博音とは、今どんな人で、今何を抱えているのか。
 永久だけが知らないその真実を。
(……知りたい。知らなきゃダメだ)
 胸がざわついた。
 それを知らないで、どうやって、彼に向き合えばいいのか。
 永久は立ち上がった。
 そして教官長に笑いかける。
「俺達も一度戻りましょう。ここにいても仕方ないですし。高山が目覚めたら、連絡して貰えますか?」
質問の相手は救護隊員。わかりました、という真面目で冷静な返答を受け取って、来たときと同じように教官長の腕を掴む。
「では、お邪魔しました、俺からもそいつをよろしく頼みます。教官長、行きましょう」
「お、おお。すまない、頼んだぞ」
急な出来事に戸惑った様子の教官長を、強引に医務室から引きずり出す。永久の目的はこれからだ。
 医務室から少し離れ、声が届かないくらいに距離を取る。それぞれ仕事中のこの時間、廊下に人はいない。
 そこで永久は、歩みを止めた。
「教官長」
手を離し、向き直る。
「今から正直な話をしますので、正直に答えて頂きたい」
教官長は瞬きをする。
「俺は高山の後輩です。学校時代から彼のことを知っていました。座学は俺が校内トップなのに、どうしても実技だけは敵わなくて、彼は俺のライバルであり、目標であり、憧れでした」
教官長は黙って永久を見つめている。きょとんとした顔、とも言うのかも知れない。反応は永久の予想の範囲内だった。ここまでなら、はぁそうですか、で終わってしまう話だ。
 そこに永久は、重要な情報を付け加える。
「今は彼に恋してるんです」
堂々と言い切った。
 教官長の顔が変化する。驚愕に染まる。これも予想通りだ。
「俺もびっくりなんですけど、多分恋なんです。俺の、憧れの先輩に、どうしても俺を見て欲しいし、隣にいたいし、幸せにしてあげたいし、困ってるなら助けてあげたいし、……触りたいし、俺だけを見て欲しいし、先輩の特別になって……誰にも渡したくない」
だんだん言っていることがわからなくなってきた。冷静に訴えていた筈が、だんだんと体が熱くなってきた。堂々と語り始めたのに、今はやっぱり恥ずかしい。
 それでも言いたいことは言い切らなくてはならない。
「だから先輩を元気にできるのは俺しかいないんです!……あっ、いや、元気にする役目を俺にやらせて欲しいんです!」
ちょっと脳が熱暴走している。それでも思いと誠意は伝えなくては。
「だから!先輩に何があったのか、知ってることだけで良いので、教えてください!」
がばりと頭を下げた。
 心臓がばくばく言っている。頭を下げたのはいつぶりだろうか。誰かに見られたら明日から参謀長やっていけないな、と一周回って客観的な考えが浮かぶ。
 双方の沈黙が訪れる。その重さに堪えられない永久は、ちらりと教官長を伺い見た。
(……あ、れ?)
教官長は、笑っていた。
「……ふ、はは、ははははっ」
「あの、教官長……?」
「ははっ……すまんすまん、流石、やはり若いんですね、参謀長……いや、天羽永久君。異例の出世と年不相応な素晴らしい能力で仕事をしているけれど、中身はまだ青々しい19歳だな。その勢いと行動力と大胆さ。羨ましい限りだ。懇意にしてもらっているとは聞いていたが、なるほどなるほど、そういうことだったか……ふむ」
「あっ、ちょっ、ちょっと待って、先輩まだ知らないんでっ、その……!」
「わかったわかった。高山もこんなに大切にされているとは、幸せ者だな。その恋、50歳の一介の軍人として応援しよう」
永久は本格的に混乱していた。自分が引き起こした状況である。覚悟していた筈である。しかし思いもよらない照れと恥ずかしさに襲われて、本当の素に戻っていた。
「えっ、えと、なら」
「俺も詳しいところは知らないんだ。あいつが話したがらないからな。でも、知っていることは話そう。今晩空いているか?天羽永久君」
19歳の少年に対する呼び掛け。永久はそれに、19歳の少年としてはいと答えた。
「君の携帯に電話をしよう。話は自分の部屋で聞いてくれ。これは、知っている人は触れないようにしているし、知らない人には知らせないようにしている話なんだ。高山が一番の被害者というだけで、他にもショックを受けた人はいるからな」
「わかりました」
真剣な顔で頷く。いい顔だ、と笑って、教官長は背中を向けた。
「さ、仕事に戻りましょう参謀長。基地指令が待ってますよ」
永久は慌てて背筋を伸ばした。ここからは基地の頭脳、司令の秘書、参謀長としての永久だ。溢れ出す不安と期待と喜びを、ぐっと押さえる。
「そうですね、書類の整理、途中でしたし」
そう返して、参謀長は教官長の隣に並んだ。



 夜風が心地よい。
 ベランダから空を眺めながら、永久は携帯を耳に当てていた。
 目の前には海。大きな湾だ。反対岸には海軍基地があり、船が出ていくところだった。
 見上げる空には、沢山の明かりが飛んでいる。夜間飛行を終えて帰ってくる飛行機の明かりだ。綺麗に一列に並んでいるのは、管制塔の指示を待っているからである。そういえば前線にいた時、この時間は帰還ラッシュだったな、と思い出した。
 スピーカーの向こうで、「悪いな待たせて」と声がした。
「いえ、お気になさらず」
電話の相手は50歳の軍人。電話を受けるは19歳の恋する少年だ。
『よし、整った。一から話そうか』
電話の途中で来客の対応をした軍人――教官長は、どうも一段落ついたらしくそう言った。永久は「お願いします」と電話越しに頭を下げる。
 教官長は最初に、前の戦争を知っているか、と聞いた。
「前の戦争っていうと……あれですか、東南での」
『そう、お前がここへ来る1年前だったと思うけど、東南諸国の戦争への援軍だ。その時あいつは少年兵だった』
「俺の1年先輩ですもんね」
『ああ。当時の少年兵は、5人くらいで班を組んで任務にあたっていて……高山も班の一員だった。任務をこなしていたんだ』
声のトーンが少し変わった。重みを感じる声に、永久は唾を飲み込む。
『少年兵たちに与えられる任務は、正規兵と遜色ないものだった。それに意気込みを感じている人もいたようだが、その分、怪我をする人や……死んでしまう人も少なくはなかった。ただ、高山たちの任務はそんなに難しいものではなかったんだ。正規兵の後方支援だったから』
正規兵の後方支援、という言葉を永久は少し考え込んだ。永久は爆撃専門なので後方支援も何もないが、高山たちのような戦闘機となればそのようなものもあるのだろう。
『俺は当時もう教官長だったから、基地に控えていた。当時の高山の教官も、俺の部下だからな。彼らと一緒に、少年兵たちと連絡をとっていた。状況はとくに異変なく、事前の訓練通りに動いていたんだが――ある瞬間から、聞こえてくる声が慌てたものに変わった。なんでだ、どうする、やるっきゃないだろ、と』
察しの良い永久は、そこで小さく息を呑んだ。それが思い違いであるようにと願いながら。
『少年兵との無線はうめき声と叫び声に変わり、次々にプツンと切れた。悲惨だった……場馴れした教官たちが、理解出来ずに固まってしまうほどに。そして最後に聞こえたのが、高山の、聞いたこともない、気が狂ったような絶叫だった』
永久の手が細かく震えだした。それは、と小さく掠れた声が出た。段々悲劇の結末が見えてくる。
『ついに全員との連絡が途絶え、暫くしてから正規兵からの連絡が入った。話によれば、自分達が敵を倒した後、さらにもう1グループ敵戦闘機が来て、今それを倒したのだが、後方支援部隊が気付いたらいない、とのことだった。それからすぐに別の正規兵から連絡が入った。戦闘場所となった南東の海に浮かぶ小島に、不時着したらしい自国軍飛行機が燃えているのと、人らしきものが見えるが、島が小さすぎてもう一機着陸は出来そうにない、と』
震えて返事が出来ない永久に、教官長は淡々と語る。
 正規兵の話を参考に基地で島を割り出したところ、それは島とも言えない、人が100人も集まればいっぱいになってしまうような岩場だったらしい。飛行機が燃えているとの事だったので、海軍にも連絡し、近くの港にいた船とヘリコプター両方で救出に向かったという。
『……もう、わかるとは思うが』
「……はい」
『それが、高山だった』
「……はい」
『戻ってきた高山は勿論見た目もボロボロだったし、救助までに数時間かかったせいで衰弱していたが、それ以上に明らかに様子がおかしかった。死んだような目をしているし、焦点はあっていない。話しかけても返事はなく、揺すっても無反応。自分一人では立つこともできないが、時々突発的に不可解な動きをする。かと思えば、日本語にもなっていない、何か意味のわからないことを口走る。その日は丸一日そんな様子で、医務室で外傷の手当てをした後は担当の教官がつきっきりで一晩面倒を見て……翌日には意識を取り戻していたが、詳しい話を聞こうとすると、すぐに前日の状態に逆戻りだった』
そのままあの日の話は今でも聞けていないよ、と教官長は苦笑する。
『1年も経たない内に、彼からもう前線には行きたくないんだと相談された。こちらももう行けないだろうと思っていたから、少年兵でもそれまで実績があったのと学校時代の成績が良かったのがあって、教官への転向と、もう少し回復したら偵察機を運転してみないかという提案した。それで彼が最初に担当したのが、13歳という異例の若さで軍に来た君の弟だ』
「……え、そう、なんですか」
『ああ。身体能力と射撃能力はとんでもなかったけど、精神年齢はまだまだどころか平均よりも幼かった刹那君に、新人教官だった高山は随分手を焼いたみたいだな。おかげですっかり懐かれたようだが……高山自身も、彼との交流を通して回復していったようだ。あれでも4年で随分変わったんだぞ。……倒れたのは2、3年振りだったから、とても驚いた』
永久は口をつぐんだ。
 気になることはたくさんあった。
 なんで着任一年目の少年兵を実戦に出したんだ、とか。
 少年兵たちに今どうなっているのか問いかけなかったのか、とか。
 高山以外の少年兵は見つかったのか、とか。
 しかし聞けなかった。
 永久が今聞いて思い付くことは、既に皆心から後悔しているはずだ。少年兵たちの安否だって、言わないということは、見つかっていないのか、遺体になっていたのか、はたまた機体だけ見つかったか、そんな惨劇に違いなかった。
 永久自身も後悔していた。
 知らなかったとはいえ、初めて出会ったときの永久の態度は、高山の気に障るものではなかっただろうか、と。
 永久が飛行機に乗る楽しさしか知らないのに対し、高山はそんな記憶など薄れ、飛行機に乗る恐怖ばかり持っているのだろう。実地経験の薄い箱入り上官め、と思われてもおかしくなかった。
 それでも今彼は、自分と話をしてくれている。
 黙りこんだ永久の名が、電話の向こうから呼ばれた。
『俺を含め、教官部は皆、彼を心配しているんだ。ほとんどがあの悲惨な無線を聞いているからな。だから君にはどうか、あれを幸せにしてやってほしい』
懇願するような声。その答えに、悩む訳があろうか。
「勿論です」
永久は、力強く言いきった。

 切れた電話の画面を眺めて、それから夜空に視線を移す。涼しい風が頬を撫でた。
 もう夜間飛行をしている飛行機はいない。
 広がるのは漆黒の空。
 永久はそこに、睨むような視線を向けた。
 明日から、いや、今から自分は。
 彼のために動く。
 高山を絶対に、笑わせてみせる。
 強く強く、決意を新たにし、大きく息を吸い込んだ。
「待ってろよーーーーーーーっ!!!!」
 声は、船明かりに輝く海に広がった。


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