ノートのすみっこ

せつきあの小説置き場

告白 #5

初出:2016-06-21

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 扉の向こうから足音がする。
「しまったぁーーーー!!!」
聞きなれた声だ。
「体育館はいなかったって!」
「二号館もいないー」
「あっもしもし?技術館もいない!?」
「あとどこだよ?外?」
「うぇーっあそこ探し回るのかよ!炎天下だぞ!?」
「まだまだあっついよなー」
続いて聞こえるは、沢山の男性の声。
 なんの騒ぎだ、と問う基地司令に、永久は「さぁー」と返した。
「でも高山の声ですよねぇ。いいじゃないですか、元気になって」
「お前は嬉しそうだな……好きな人が元気なのは嬉しいか」
「えっ、あーうん……はい……そっすね」
基地司令には「憧れ」くらいにしか言っていなかったはずなのだが(確かに恋する乙女とは言われたものの)、一体どこから「好き」が確定情報になったのだろうか。ぼんやりと教官長の顔を思い浮かべる。
 首を傾げていた所へ、司令室の扉が勢い良く開いて、高山を筆頭とした6、7人の教官たちが声を揃えた。
「刹那と希亜、来てませんか!」
対する二人は思わずぽかんとした。
「……元気すぎるのも問題ですね……」
「……そうだな……」

 高山と愉快な教官たちが言うことを一言にまとめると、こうなる。
 刹那と希亜が脱走した。
 詳しく言うとこうだ。
 いつものように訓練をしていたが、高山が他の教官に呼ばれて少し目を離した隙にいなくなっていたのだという。無許可で敷地から出るのは規律違反として重い罰則を食らうので、おそらく敷地内にいると思うのだが、なにしろその敷地というのが広くて探しきれない、といったところだ。
 とりあえず、と中に招き入れられ、ソファに座らされ、さらにお茶まで貰って、教官たちはそこまで話しやっと一息ついたところだ。
「ったくあいつら……」
舌打ちをする高山に、他の教官たちは顔を見合せ、やれやれ、と苦笑しつつ言う。
「元気になってよかったよねぇ」
「一時はどうなるかと思ったのに」
「まさかあの生意気な刹那が泣くとはなぁ」
「まさかあの無表情な希亜が泣くとはなぁ」
へ?と瞬きする高山に一人の教官が「聞いてないんだ?」と笑った。
「お前が倒れてるあいださぁ、あいつら、ぐずぐず泣きながらお前のベッドにひっついてたんだぜ?」
「……俺が起きた時には、初っぱなから教官!と一声二人同時に飛んで来やがって廊下に背中から着地するはめになったんですが……」
「愛情の裏返しだろぉ」
そこに、教官たちとテーブルを挟んで向かいに座っていた基地司令が付け加える。
「はっはっは、あの参謀長も心配で眠れなくなっていたしなぁ」
「わーっわーっわーっ!!司令何言ってるんですか!?」
掻き消そうと大声をあげて立ち上がったのは、勿論司令の隣に行儀良く座っていた永久だ。
「おや、だって事実だろう」
「わーーーっ!そういうのは言わない約束じゃないですか!!」
「はっはっは」
笑い事じゃないです!と拳を握りしめる永久を、教官たちは驚いた顔で眺め、それからなんのことだかという顔をしている高山に話しかける。
「参謀長って、高山の学校時代の後輩なんだっけ?」
「ん?ああ、そうですけど……何で?」
「仲良かったんだ?」
「いや……向こうは知ってたみたいですけど、俺は全然知らなくて」
「え、なんか憧れられてたんだろ?」
「らしいんすけど……全校テストで実技だけ勝てなかったから勝手にライバル視されてたらしくて」
「ふーん……で、今は?」
「へ?今?」
高山は素で「何が?」という顔をする。
「え?だって……」
教官たちが一様に視線を向けた先では、永久が司令に「お願いですから変なこと口走らないでください!まだ知らないんです!」と懇願している。司令が「はっはっは」と意味深に笑うので、更に必死になっている。
「あー、成る程……」
「そうかそうか……」
「まぁ、鈍感そうだしな……」
「……?何が?」
「ほらな……」
一人首を捻る高山を置いて、他の教官たちは温かい視線を永久に向けた。
「参謀長、頑張ってください」
「俺たち応援します」
「大変だと思うけど、負けないでください」
「~~っほら!司令のせいですよ!」
はっはっはすまんすまん、と笑う司令に怒鳴る永久。
 唯一の救いは、それでもなお高山が首を傾げていることだろう。逆に悲報でもあるかもしれないが。
 高山はきょとんとした顔のまま、永久に話しかける。
「……心配してくれる、お心遣いは感謝致しますが」
「えっ!?あ、うん、どうも……」
永久はしまった!という顔をする。
「……なんで貴方が気にするんです?」
「えっ?」
永久は困惑した顔をする。
「まぁ確かに学校時代一学年差で同じ基地配属って珍しいけど、別にそんなに気遣う仲じゃ……」
「……えっ、まぁ、えっ……?」
永久の顔がちょっと泣きそうになる。
 少しは距離詰められたかなって思ってたのに?もしかして最初に会った時とほぼ変わってなかった?
 動かなくなった永久とはてなマークを浮かべる高山のあいだに生まれた沈黙を最初に破ったのは、基地司令の漏らした笑いだった。
「お前っ……くっ……」
「わ、笑わないであげてください基地司令!」
「可愛いな参謀長!」
「泣くな参謀長!」
「大丈夫です俺たちは味方です参謀長!」
「外堀!外堀は埋められましたよ参謀長!」
「高山に負けるな参謀長!」
「え?俺なんかしたか?」
「お前は黙れ」
たちあがって必死にフォローする教官たちに、永久は泣きそうな顔のまま苦笑いするしかなかった。

 話は元に戻る。
「お前のところの少年兵は本当に元気だな……」
「すみません……元気すぎて……」
基地司令に頭を下げる高山を、永久は黙って麦茶を飲みながらみていた。
 その一方で教官たちは、次々にかかってくる電話に根気よく答えている。
「寮にもいなかったって?」
「グラウンドもハズレか、了解」
「体育館倉庫もいないかー」
教官たちはため息をつく。
「あとどこだよー……」
「少年兵全員に聞いたけど分かんないって」
「正規兵の一人が一階の廊下で見たって言うけど」
皆一様に黙って、考え込む仕草をし出した。
 彼らは多分、焦っているのだろう。このまま放置していて、もしあの二人が今も移動中だとしたら、どんどん見つけるのが困難になってしまう。
 真剣な顔をしている高山を眺めつつ、永久もその基地内最高と謳われる脳を稼働させる。体育館、一号館、二号館、寮、体育館倉庫、グラウンド、技術館。そこには居なかった。でなければ、あと、どこに行く可能性があるか。
 基地の地図を思い浮かべて、永久はふと呟く。
「滑走路……」
教官たちの視線が、一斉に永久に向いた。
 基地の土地の大部分を占めるもの、滑走路。それは自分が豆粒に感じるほど広大だが、すべてがコンクリートの道路という訳ではなく、脇は目隠しのために木を植えて森のようになっているし、滑走路の周りは芝生である。危険だから目的もなくのこのこ人が歩くことはほぼ無いが、逆に言うとしないだけであって可能ではある。
 教官たちの顔が、一斉に嫌そうに歪んだのも、同じことだ。
 ほぼ入っていくことはないのである。
 危険だから。
 まじかよ、と他と共にため息をつく高山を見て、永久は思わず名乗りをあげた。
「あの、管制塔、連絡しときます?」
参謀長として、参謀長の権限で。
 教官たちの顔が輝く。
「お願いします!」
それでも高山の顔だけ笑わないのを認め、心のなかで舌打ちをした。
 そう簡単には、笑ってくれないようだ。

 管制官は、生真面目な声で応えた。
『滑走路への侵入者、ですか?』
 管制塔にいる人も勿論基地のメンバーだが、少し独立している節がある。戦争が起きない限り、あまり管制塔の管制官と教官たちが共に仕事をする機会はない。パイロットたちは飛ぶ度にお世話になるが、声だけの付き合いである。皆薄い関わりだが、その中でも接点が比較的多いのが、その上に立つ人々、つまり永久に代表される上官たちである。
 永久はそう、と答え、手短に事情を説明する。電話の向こうの管制官は納得したらしくなるほどと応えた。
『立ち入りがあったとの連絡は受けていませんが。どのような人物でしょうか』
受話器を片手に、永久は後ろ頭を掻く。
「あー、天羽刹那と湊希亜っていう少年兵……特徴は刹那の銀髪頭かな。身内が申し訳ない」
『ああ、かの有名な……。参謀長の弟さんでしたか』
かの有名な、と言われて永久は渇いた笑いしか出てこない。同じ基地にいるとはいえ直接会って指導できる訳ではないので、永久の責任ではないと言えばそうなのだが、そこまでやんちゃ坊主として名が知れ渡っていたとは。
 手間かけさせてごめんなさい、と謝る永久に、いえ、と管制官は返し、そして少し困った声音で言った。
『しかし、その二人ですか。おかしいですね。教官からの許可証も持ってきていたのですが』
「え?どういうこと?まさか」
管制塔に、少年兵が、教官からの許可証を持っていく。それは、彼らが飛行機を操縦する時にとる手続きだ。
 ということは。
 なんだなんだと永久を待つ教官たちにもきこえるように、受話器をハンズフリーモードにする。
 そこから管制官の溜め息が聞こえてきた。
『おかしいとは思ったんですよ。他の教官ならまだしも、高山教官がそんな理由で飛ばすなんて』
「俺?」
「飛ばす?」
教官たちの顔が曇る。だいたい話が読めたようだ。
『ただ、印鑑も偽物には見えなかったんですよ。ちょうど一時間ほど前に』
その場の全員が固唾を飲む。管制官はその続きを、躊躇いなく口にした。
『こないだ配備されたばかりの複座式戦闘機に乗って、出ていきましたよ』
想像していなかった新手の脱走に、教官だけでなく基地司令までもが、ぽかんと固まる。
 専属パイロットは実質一機の飛行機のオーナーとなるが、基本的に飛行機というのは共有するもので、オーナーは基地ということになっている。訓練にしろ実戦にしろ、誰が今どの機体を使っているのかという管理情報は極めて大切で、正規兵でさえきっちり申請している。少年兵は教官の許可証が無いと乗れない。
 なのに、最年少の部類に入る少年兵が、管制官の目を欺く偽造許可証を使用して、最新型を乗り回しているらしい。
 蒼白したのは高山である。
「ほんと……本ッ当にすみません……うちのがいつもいつも」
「いや、高山が悪くないのは分かってるし」
「あれが勝手にやったことなのは分かってるって」
「大丈夫だ、あいつら操縦は誰より上手いから」
皆口々に高山に声をかけ、肩を叩く。
「こんだけ皆さんに迷惑かけといてしかもとんでもないこと仕出かしてくれやがって……キツく言っときます。本当すみません」
彼は呆れたように溜め息をつく。
 刹那と希亜は少年兵で最年少で、そんな彼らがこんな騒ぎを起こしたのは勿論高山にとって心労にならない訳が無いが、それだけでなく高山自身も教官で最年少なのである。元気すぎる教え子のせいで、勿論周りはそうさせたつもりは無いのだが、肩身の狭い思いをしているようだった。
 永久は話をつけて電話を切る。俯く高山に、おーい、と声をかけた。
「管制塔行こう。連絡取れるように、向こうには話つけたから」
「御手数お掛けします、参謀長」
高山は恭しく頭を下げる。対する永久はにこっと笑った。
「そんな改まらないでよ。そもそもあれ俺の弟だし、それに俺と君の仲だろ?」
「……特に変わった仲ではないと思いますが」
場の空気が一瞬固まった。
「あー……篠崎。お前元こいつの教官だろ。どうにかできなかったのかよ」
「んなこと言われても、情操教育は俺の守備範囲じゃないし」
「でもあれ見ろよ、本人全くわかってねえぞ」
「参謀長が可哀想だ……」
ひそひそと話す教官達の声ははたして本人に届いたのか否か。
 永久はすぐに表情を作り直すと、「とにかく気にしないで」と笑って高山を管制塔へと引っ張り出した。


 この際自分の想いは別として、それでも高山との距離を全く縮められていないのは問題だ。
 先導するように歩く永久はわざと人気のない廊下を選んでいた。
「先輩ってさー」
おおよそ参謀長なんて高官のものではない、19歳という歳相応の口調で話し始めて、年相応の話題を振る。
「童貞?」
くる、と振り返る永久に、高山は呆れ顔で「は?」と返す。
 永久は立ち止まった。なかなか答えない高山を見つめる。
「……違うけど。人並みに付き合ってたし」
渋々答える高山。「うっそぉ!?」と、永久は彼に詰め寄った。
「せ、先輩?見栄張らなくても馬鹿にしたりしないよ?」
「その発言が既に馬鹿にしてるだろ……」
永久は少しむっとした。別に高山が非童貞だったのが悲しい訳ではなく、その言い方が気にくわない。これが刹那相手だったら、「うるせぇクソガキ」とでも言って蹴りをかましているはずである。
「……つまんないの」
「何がだ」
口を尖らす永久に、高山は半眼だ。
 その時永久は、ひとつの作戦を思い付いた。
「お前な、馬鹿にしすぎだろ俺を」
「ええー?そんなことないってー、ただ俺みたいにイケメンじゃなくてもヤれるんだなって思って?」
「残念だったな。実技一位は結構モテるんだよなー、万年二位は知らないだろうが?」
ぶちっ。
「うるせぇ顔面偏差値55!70の俺様に逆らうな!」
「んだとこの経験値ゼロ青二才参謀長!弟の不始末どうにかしてこい!」
「それはきょーかんの仕事ですー!」
「調子こいてんじゃねぇぞ肉親だろこのクソガキが!」
「あーっ上司蹴ったなこのしたっぱー!!」
「黙って大人の言うこと聞け未成年!!」
蹴ってくる足を飛び越え、着地した瞬間足払いをくらい、転ぶなら巻き込んでやれと腕を引き、バランスを崩しながら腕を捻られ、手放して体勢を建て直される前に飛び蹴り、避けられたので着地と同時に体を捻り、相手の蹴りあげを飛び退いて避ける。
 単に煽って暴言を吐かせようとしただけなのだが、吐かせてみるとかなりイラッと来てしまった。暫く戦闘し、双方息が切れてきた頃攻撃の手を緩める。
「……やめよう」
「うん、無益な争いは時間の無駄だね……」
「だいぶ無駄にしたな……」
そう、この瞬間にもあの少年兵二人はどこかへ移動しているのかも知れないのだ。大人げないことをしている場合ではない。こんなことをしたくてこの話題を振った訳でもない。
 二人は歩みを再開する。
「だいたいなんなんだよいきなり……」
「なんかさぁ、先輩俺のことは蹴ってくれないからさぁ」
「え、おま、え?ソッチ?」
「おーっと盛大な誤解を生んだね俺。違うよ、刹那相手ならうるせーっつって蹴り飛ばすのに、俺相手だと控え目になるの、気に食わないなって」
永久は口を尖らす。なんだそれ、と言いながら、高山はいつになく困った顔をしていた。
「一応上官だしな……」
「そこが気に食わないんだよ!」
文句を垂れて、頭の後ろで腕を組む。頬を膨らます。その仕草に上官の威厳は欠片もない。癇癪を起こした子供に近い。
「あのね?俺本当に先輩と仲良くなりたいの。わかる?」
「全く」
「わかって。んで、俺そういう人には、ちゃんと認められたいんだよ」
高山は眉を寄せた。それでも永久はめげなかった。
 高山を笑わすにしても、心を開かすにしても、まずは仲良くならなくてはならない。高山自身が友だちだと言ってくれる関係にならなくてはならない。そのためには、永久は「上官」というレッテルを剥がさなくてはならなかった。
「先輩、俺のこと何も尊敬してないだろ。ていうか、何も尊敬出来ないよね。座学は俺の方が良かったかも知れないけど先輩も悪く無かったわけだし、肝心の実技も実戦経験も先輩の方が上だし。そんな状態で、形だけで尊敬されても嬉しくない」
高山の目を見た。若干紫に反射する双眸は前を向いていたけれど、その輝きは真剣に見えた。
「先輩の目で確かめてよ。尊敬に値する人物なのか、否か。もし値すると思うなら、その時正当な距離で俺を尊敬してくれればいいし、値しないと思うのであれば、上官だなんて思わなくていい。俺はただの、たまたま配属先が一緒だった後輩ってことで」
どう?と彼の瞳を覗き込む。ついと細められて、不機嫌そうに眉が寄った。
「青臭ぇ」
「あ"?」
「眩しすぎてウザい。真っ白すぎて笑えてくる。何も知らないくせに、理想とそれに向かって突き進む体力だけはある怖いもの知らず」
嘲笑うような高山の言いぐさに、お前だって一個しか違わないだろ!と永久は吠えようとした。何辛酸舐め尽くした大人ぶってんだ、人生この先何年あると思ってんだ、青臭くないほうがおかしいだろ、と。
 けれど「吠えようとした」だけで終わってしまったのは、高山がふいと顔を背けて歩き出したからだ。
「でも、嫌いじゃねぇな」
そんな言葉と共に。
「…………」
永久は三歩、彼が歩くのを呆然と見送った。
 そしてやっと我に返る。
「このっ……」
ああもう、そういうとこ、ほんっと!!
 目の前が一瞬にして作り替えられた。窓から射す光は永久の世界にキラキラしたエフェクトをかけた。心に青空が広がり、爽やかな風が吹き、木々の葉を揺らしたかのように。
 ああなんて、なんて綺麗なんだろう。
 瑞々しくて新鮮な世界で、その人物が振り返る。
「行くぞ鼻垂れ。身内の不祥事どうにかしろ」
「――っだから!俺の責任じゃなくない!?」
言葉が違う。声が違う。語気も違えば態度も違う。
 自分の言葉に耳を傾けてくれたこと。「上官だけど上官じゃない」という、彼の中で例外を勝ち取ったこと。それがどうしようもなく嬉しくて、楽しくて、足が地に付かない。
 それを「やればできるじゃん」という一言に隠して呟いて、永久は前を行く高山の背中を追いかけた。


「ご迷惑をお掛けしました」
 基地に降り立った瞬間待ち構えていた高山に捕まり、拳骨を食らった少年兵二人は、今その頭を思いきり押さえつけられながら管制官に謝罪している。
「まぁ、無事ならよかったです。でも以降このようなことをしないように。高山教官が胃痛で寝込みますから」
「え、教官て胃弱かったの?」
管制官の言葉にそう反応した刹那が蹴り飛ばされるのを、永久は近くの壁にもたれて見守っていた。
 てめぇらそこに直れ、とドスの効いた声で言われ、二人は光の速さで高山の前に正座する。そのあまりにも素早い対応に、こいつら慣れてるな、と永久はちいさく笑う。
 その時管制官と目が合って、小さく会釈する。
 すると彼は「ご苦労痛み入ります」と敬礼して、此方へ寄ってきた。
「参謀長と高山教官が仲が良いって噂、本当だったんですね。意外です」
「なんでそんな噂が出回ってるんですかねぇ……」
「みんな驚いてるからじゃないですか?あの高山教官が、あの参謀長と、って」
どこからどう出回って何があったらそんな見世物みたいになってしまうのだろうか。小恥ずかしいのだが、事実だから否定し難いところが厄介である。
 ため息をついて、それから「ん?」と顔を上げた。
「あのって、高山、管制塔でも有名なんですか?」
「寧ろ管制塔だから有名なんですよ」
ああそっか、と永久は呟いた。当時、飛行機と連絡を取っていたのだから、そこには教官だけでなく管制官もいたはずだ。寧ろ現場は管制塔だったと考えるのが自然だろう。
「だから今回のことは肝を冷やしましたよ。こないだも倒れたらしいじゃないですか。ストレスで自殺なんてされたら目も当てられません」
自殺、という言葉に身震いした。洒落にならない。ならないが、PTSDだと診断されている以上、なまじ嘘でしょとは言えない。
 高山に目をやる。彼は少年兵二人を前にこんこんと説教していた。
「戦闘機はおもちゃじゃない。それに乗っているだけで敵国からすれば撃墜対象だ。誰が乗っているかなんて関係ない。突然来るわけないと思うかもしれないが、突然来るから奇襲という言葉があるんだろ。宣戦布告は敵が目の前に現れる一秒前で、自分が驚いている間に機銃を発射してくることだって有り得る。生半可な覚悟で勝手に乗るな」
「……かくごなら、そんなの」
「大切な人を失う恐怖が在ってなお、人を殺す覚悟があんのか?誰かの大切な人をその手で奪う覚悟が?自分から肉親や友達を奪った悪魔と同じことをする覚悟が?」
高山の声が急に低くなって、永久はバッと振り返った。管制官も同じ反応をする。その話題は地雷に近いと、同じように思ったのだ。
 永久は弟たちを止めようとした。何も知らないまま高山を刺激してしまう可能性がある。
 しかしーー既に高山の気迫は、永久たち二人すらフリーズさせるものだった。
「銃は速い。敵を目の前にしてUターンしたら間に合わない。驚いていたら尚更だ。だから出会ったら殺すしかない。殺しに掛からないと逃げられない。そうじゃなければ、そこで焼かれて死ぬ。お前らは、自国のものでない機体を見たときに、瞬時にロックオンできんのか?個人的な理由もなく、ただ軍にいるというだけで、同じくただそこを飛んでいただけかも知れない、家族を養うために一生懸命訓練に励んでいるだけかも知れない、憧れの人に認めてもらいたくて頑張っているのかもしれない、ただそこにいたというだけの人に、銃を向ける覚悟があるか?」
四人は等しく黙った。淡々と冷静に語る言葉に、押し込められた熱と闇が見え隠れしているのがわかる。彼にしか紡げない一つ一つの音を、永久は丁寧に拾った。彼が内に秘める思いを、どうにか汲み取ろうと。
「……俺の言っていることの意味がわかるか?」
問われた刹那と希亜は、黙って小さく頷いた。同時に永久も小さく頷いた。
 きっと彼は怒っているのだ。惨劇のリスクを知らずに、勝手なことをした彼らを。根拠もなく自信を持っていることを非難しているのだ。それはすっと理解できる因果だった。彼は未熟だった過去に、何らかの惨劇に巻き込まれたのだから。
 高山は息をついた。ふいと視線を逸らして、それから二人に戻す。
「どこまで行ってきたんだ」
「……向こうの、一山越えたあたりまで……」
刹那が恐る恐る答える。そうか、となにかを考えるようにまた視線を逸らしたので、永久は彼の見ているものを探した。
 たどり着いたのは、壁のデジタル時計。
 日付と時間が表示された、なんの変鉄もないもの。
 呟くように、高山は言葉を発した。
「ーー海、綺麗だっただろ」
へ?と。
 声をあげそうになって、自分の口を塞ぐ。刹那と希亜も思わず目をぱちくりさせて、顔を見合わせる。
「綺麗、でした。一部だけ、砂浜があって」
希亜の言葉に、砂浜?と永久は地図を思い浮かべる。この周辺の海といえば、海軍が港にしている海だ。砂浜なんてあっただろうか。
「ああ、みつけたのか」
しかし高山は知っているらしい。
「崖の下だけな。白くて綺麗だったろ。あそこは浅いから、綺麗な水色の海だったはずだ」
「……!!教官しってるの!?」
「そこの沖合いに小さい島があるぞ。そこは無人島なんだが何故か鳥居があって面白い。そこと隣の小島は引き潮になるとトンボロ現象で繋がるんだ」
「そうなの!?今度見てみたい!!」
「ああ、訓練してれば一回くらいは見れるだろ」
白い頬を紅潮させる刹那。最愛の弟が楽しそうなのは永久にとって良いことなのだが、隣の管制官は困惑していた。そりゃあそうだ。さっきの雰囲気はどこへやら。
「山は?そろそろてっぺんは紅葉してたか」
「すこし黄色かったです。あ、あと山を越えた所に花畑があったんですよ」
落ち着いた口調で、しかし目はキラキラしている希亜。高山は満足げに「そうか」と応える。
「空は綺麗だろ」
「うん!」
「いつでも青くて、楽しいだろ」
「はい」
「だったら、楽しい思い出だけ持ってあの世まで行け」
ーー高山は、優しい声で言った。
 だから、はっとしてしまう。
 永久も空が大好きだった。かさばる装備とややこしい計器と引き換えに、そこから見る景色は至上の絶景だった。どこまでも広がる青の解放感と、自分がぽつんと孤独であることの切なさ。昇って落ちて回転するスリル。すべてが快感だった。
 高山も、きっとそうなのだ。
 否、好きじゃなきゃ、実技一位なんて取れない。
 間違いなく、誰より好きなのだ。
 例えそれが、好きだったという過去の事実に成り果てて、今は思い出せなかったとしても。
 美しい空だけを持っていけ、と諭すようにもう一度呟く。
「空では死ぬな。血を流すな。勝利の快感で全てを終えろ。戦争で死んで、後悔しないなんてことは決してないんだから。……だから、無駄なリスクは冒すな」
優しくて。それでいてどこか、切なげで。まるで今にも泣き出しそうな。
 彼は怒ってなどいなかったのだ。 最も劣化のない形で伝えるために、怒りという形を借りただけだ。その本質は、誰もが忘れかけた祈りで、目を背けた懇願だった。
 はたしてそれは、若い二人の戦闘機乗りにも伝わったらしい。
「……ごめんなさい」
先に謝ったのは刹那だった。
「俺が希亜を誘った。前の許可証を写真にとっておいて、その印鑑から消しゴムはんこ作った」
偽装の手口に、永久の隣の管制官がぼそりと「さすが、篠崎の血が流れてる」と言って額に手を当てる。
 「篠崎?」と永久が小声で問い返すと、自分の同期なんですけど、と前おいた。
「高山教官の元教官で、偽装の天才です。少年兵養成学校では外出届の偽装を何度もやって助けてもらいましたけどね……」
ああ、と永久は苦笑した。永久とてよく脱出したので気持ちはわかる。何せ軍の学校なので、外にでないと可愛い女の子に出会えないのだ。その気持ちはよく分かる。
 連想したのは管制官だけではなかったようで
「お前は教官か……」
「え?」
「いや、なんでもない」
高山までもがため息をついた。
 次に口を開いたのは希亜だ。
「あの、教官。オレも悪いんです。刹那唆したのはオレだから」
「唆した?」
「はい。新しい複座戦闘機が来たんだって、自由に乗り回したいねって……」
「……お前ら……兵としては失格もいいところなのに、どうしてそんなに骨の髄まで戦闘機乗りなんだ……」
ああこれは高山さんの胃痛が酷くなりますね、そうですね、と密かに傍観者二人は言葉を交わす。
 船乗りが海を愛するように、空の男は空を愛する。
 カーレーサーが車を愛すように、飛行機乗りは 飛行機を愛する。
 機体を撫でてキスをするくらいの愛がなければ、繊細で気難しい彼女と付き合うことはできまい。
 そう、偽装してまでも乗りたいと思う飛行機への愛だけをみれば、彼らは宝石の原石。操縦と射撃の能力を考えるなら、磨けばそれはダイヤモンドに化けるだろう。いくら奔放すぎるという大きな傷があったとしても、それで教官が胃痛薬を常備する羽目になったとしても、みすみす手放す訳にはいかないのだ。
 高山は本日一盛大なため息をついて、二人に向き直った。
「今日言ったこと、覚えておけよ。そんで今後絶対に俺の監視下にない状態で乗らないように。勝手に乗られるくらいなら無理矢理許可出した方がマシだから、せめて俺に言え。まぁ出せるかわかんねぇけど出せなかったらそこにいるお前らのお兄様に言え」
「へ?」
ビシッと指差されるは永久の額あたり。刹那と希亜が振り返る。いきなり巻き込まれた永久は思わずたじろいだ。
「いやいやなんで俺!?」
「この中じゃ貴方が最高権力者だろ、参謀長?」
「待ってよ、いくら参謀長でもそんな権限はないって」
「まぁ参謀長の責任においてお願いされたら此方は逆らえませんね」
しれっと真顔で言ってのける管制官をぎょっと見る。頷く高山を睨む。
 この野郎どさくさに紛れて自分にかかるわんぱく小僧の責任分散しやがった。そのしたり顔本当にウザい。大好き。
「わかった、兄ちゃんに言う」
「だから参謀長って言えって言ってるだろ!!」
あ、しまった、堪能してる間に話が戻れないところに。
「オレも、よろしくお願いします、参謀長」
やばい、本格的にこれは戻れない。
 若干冷や汗を流しながらウンと頷く。そういうことで、と言う高山に管制官が了解しましたと返したのでこれはもう諦めるしかない。
「邪魔してすみません、お騒がせしました。ほら戻るぞガキども。まずは他の教官方に謝罪回りな」
「うええ……めんどくさ……」
ゴッ!という音に希亜がピャッと跳ねた。隣で刹那が白い頭を抱えている。高山教官も大変ですね本当に、と見送る管制官は呟く。
「じゃあ、参謀長。私もそろそろ任務に戻ります。この件は管制塔全体に通達しておきますので」
「ああ……ウン……ヨロシク……」
こりゃあとんでもないことになっちまったぜ!が正直な感想だった。高山が遠慮なくなったのは喜ばしいことだが、ここまで無遠慮で面の皮が厚くて肝が座っていたとは予想外だ。少年兵のお守りを基地内第二位の重役に任せる教官が他に一体どこにいるのか。
(……まぁ、嫌な気はしないけどね)
なにより可愛い弟と、なにより恋した男のこととならば。
 管制官に挨拶して、永久は出ていく三人の背中を追いかけた。