ノートのすみっこ

せつきあの小説置き場

α

初出 2013年前後

軍事刹キアの入り口にして最後
これせつきあじゃなくない?概念せつきあじゃない?


ある時。
私達の基地に、同盟国から軍人が来た。
訳あってこちらで預かることになったらしいと、仕事の先輩が言っていた。
遠巻きに見ていたけれど、薄い金髪ではなく銀髪だとわかる。むしろ真っ白と言っても嘘にはならないだろう。染めてるんじゃなくて、天然のものだ。そうじゃないとこんな綺麗にはならない。
見る限り私と同年代だ。ということは、少年兵かな?
それにしては待遇が良すぎる気もしないでもない。いつもは見ないようなお偉いさんがきて、笑顔で握手を求めている。
それに対し彼は、整った顔に微笑みを浮かべて握手に応じ、何か喋っていた。
「ミシェル!!仕事しなさい」
あ。先輩が怒ってる。よそ見し過ぎたみたいだ。
すいません、と返事をして仕事に戻ろうとしたとき、私の名前が基地内に響いた。
「ミシェル、君に頼みたい事がある」
声の主は、あの銀髪の人と話していたお偉いさん。
私に頼みたいこと?私結構下っ端なんだけどな……。そんな偉い人に直々に託されるような仕事って……?
私が手を止め、「なんですか?」と聞きながら駆け寄ると、偉い人は銀髪の人にすいと手を向けた。
「君と同じ十六歳だ。訳あってこの基地配属になったんだが、異国の地だし、右も左も分からないだろう。君が彼の専属となって教えてあげてくれ」
この人の?つまり、……世話係りってこと?
 ……ん?
 「は、はぁ……」
頷くと、お偉いさんは「よろしく頼むよ」と私に向かって言った。
基地においてそんな世話役をつけるなんて、特別中の特別だ。なんなんだろうこの人……。
それに、「訳あってこの基地配属になった」って言った瞬間、すごい睨んでた気がするんだけど……。
「アルファだ。これからよろしく」
彼はそんな素振りは一切見せずに、そう言って微笑んだ。
流暢な英語だ。向こうの国の公用語は英語じゃない筈なのに、発音まで完璧。
でもアルファって、人名にしてはちょっと違和感がある。もしかしてコードネームとか仮名とかかな。なんで本名隠すんだろう……?そんなに凄い人なのかな?
私が思考を巡らせていると、お偉いさんが私の方を見て口を開いた。
「彼を部屋に案内してやってくれないか。まだ本調子じゃない筈だ」
「いやもう平気だから。俺そんな柔じゃないんで。……でも部屋は見ておいた方がいいな」
「315号室だ。わかるな?」
はい、と返事をしたけれど、私の頭は疑問で一杯だった。
なんでこの人、お偉いさん相手にこんな軽い口調なの?
それに……本調子じゃないって、病気か怪我でもしてるのかな?
あと、すこし攻撃的な節が見え隠れするんだけど……。
……何かいわく付きかな、この人。
そう思いつつ、私は「こっちです」と寄宿舎の方へ歩き出した。



「ふぅん、結構綺麗だ」
寄宿舎の廊下を歩きながら、彼はそう言った。
「そりゃそうですよ、立て直したばかりなんですから」
「なんで?」
「単に老朽化です」
ふうん、と彼はつまらなそうに言う。
「……君、ミシェルだっけ?」
「あ、はい。ミシェル・レインっていいます」
「ミカエルでいい?」
何故!?
確かにミシェルはギリシャ語読みだとミカエルだけども!!
「ミカエルの響きが好きだから」
……はぁ……?

「お好きにどうぞ……」
私は反論を諦めて、そう返した。
なんなんだこの人……よくわかんない……。
顔もいいしスタイルもいいし、容姿抜群なのに、なんか掴みにくい人だな……。
あ、そういえば。名前の話の流れで聞いておこう。
「アルファって本名ですか?」
歩きながら振り向いて尋ねると、彼は表情は変えずに「まさか」と即答した。
「もっとちゃんとした名前がある。……けど、ここじゃアルファとしか名乗れないみたいだ」
「あの人からのお達しですか?」
「ん。……ったく、クソジジイめ」
一瞬、アルファの表情が忌々しげに歪んだ。何かあの人とあったのかな……。
「なんで名乗れないんですかね。あ、ここです。アルファさんの部屋」
「アルファでいい。……ここか」
アルファは扉を隅々まで眺めると、ポケットから予め受け取っていたらしいカードキーを取り出す。
リーダー部分に翳すと、ガチャリと鍵の開く音がした。
「……」
それから彼は、扉を片手で開けたままにして、部屋を隅々まで見渡した。
……何してるんだろう。そんなに信用できないのかな。
すると彼は「なぁ」と部屋を眺めながら私に声をかけてきた。
「ここは、どの位の強度がある?」
「……?最新式ですから、短銃同士の銃撃戦なら耐えられるって聞いたことありますよ。あ、耐震性の方はよくわかんないんですけど」
「そか」
私の話にそう返した後、彼は自然な動作で上着の中から短銃を取り出した。
……え?
短銃!?
「ちょ、いきなり何を」
私が止めるよりも早く、アルファは部屋の隅にむけて引き金を引いていた。
銃声音と、ガラスが割れた音が響く。
「ほら、やっぱり。怪しいモノがあると思ったら」
「え……?」
「あそこ」
指差す先には、黒い破片達。そして、粉々になったガラスがあった。
「小型監視カメラだな」
「え!?」
「心配しなくとも、俺の部屋だけだ、多分」
「なんで……?それに、小型って……」
最近の小型って、かなり小型のはずだ。狙撃できるものなの?
アルファはふうとため息をつくと、私の方を振り返って言った。
「俺が目付けられてるってこと。大変なのの専属になったな」
ご愁傷様、と彼は扉を閉じた。
何故目を付けられてるのかはしらないけど……。
 どうやら少し、彼は面倒そうだ……。
それと。
彼は多分、相当な狙撃手だ。



アルファの話は、一気に基地内に広がった。
銀髪のイケメンだ、という話だけでなく、私がちらっと同僚に話したせいか腕利きの狙撃手だという話も広まってしまった。
同盟国出身ということも、アルファが有名人になる要因だった。私達にとって同盟国は、この前の大戦で「無傷で200機落とし」を達成し相手国の航空部隊をボッコボコにした二人組戦闘機乗りのいた国だ。私たちの国じゃ頑張っても最高記録が50機だったから、200機なんてケタ違い。片方――狙撃手の方は大戦の最後に惜しくも死んでしまったけれど、彼らは私を含め世界的に、憧れの的となった。
その国から来た天才狙撃手……。誰もが興味を持つだろう。もしかしたら200機落としの狙撃手と何らかの関係があったかも知れないと期待した人も、少なくはなかったはずだ。
皆、こぞって彼と話たがった。彼は社交的な性格とは言えなかったけれど、話しだすとさらっと冗談を交えて上手く話すものだから、男女問わず次から次へと彼のファンが増えていった。
 私とて、専属として彼の性格悪い一面も知ったものの、少しずつ彼の魅せられつつあった。
 「ミカエル」
「何よ」
アルファが基地に来てはや半年。廊下でばったり会った私に、アルファは声をかけた。
クレー射撃ができるって聞いたんだけど」
クレー射撃?ああ、行ったことなかったっけ。射撃場の地下だよ、専用の施設があるの。案内しようか?」
こくりと彼は頷く。ちょうど雑務も一段落ついたとこだし、私も華麗な銃さばきを見学しようかな。
彼を連れて射撃場の地下へ。ちょうどクレー射撃の施設は空いていた。
これ、場所とるから一人分しか設置されてないんだよね。混んでる時は担当の人が整理券とか発行するんだけど、今は空いてるみたい。
「へぇ。こんなとこあったんだ。半年間しらなかった」
アルファは愛用らしい短銃を2丁取り出してロックを外し、両手に装備した。その顔は少し楽しそうにも見える。
「段々的の速さと個数が上がってくから」
そう声をかけて制御室に入る。ここなら防弾ガラスが張ってあって、流れ弾が来ても安心だ。スコアも見れるし、私はここにいるとしよう。
「了解。スタートして」
「はい」
スタートボタンを押す。私の声と同時に、彼は左手の銃を構えた。
……?左?
普通は右じゃない?初日にカメラを壊した時も、右だったし。確かペンも右で持っていたと思うんだけど。
私がそんなことを考えているうちに、彼はどんどん引き金を引いていた。
手元のスコア表示を確認すると、撃ち残しはゼロ。この程度余裕ってこと……!?
だんだんとスピードが上がり、的の数も多くなっていく。途中から彼は、やっと右手も構えだした。
私なら目で追うのがやっとの的を、正確に撃ち落としていく。途中舌打ちが聞こえたから、もしかしたら撃ち残しがあるのかもしれないけど、私にはそれを探し出すことすらできない。
タイムアップのブザーが鳴った時、アルファのスコアは、この基地のハイスコアを更新していた。
すごい。私もよく見学に来るし、時々自分でもやるけど、この速さを二刀流でこなせる人はなかなかいない。
素直に、格好いい。同盟国の人はみんなこれくらいやるとか言わないよね?
 「どうだった?」
アルファが振り返って私は我に返った。
「ハイスコア更新だよ」
私が賞賛を込めて言うと、彼は得意げにフンと笑った。得意になって当たり前のスコアなんだけど、どこか表情がわざとらしくて殴り飛ばしたくなる。
銃を片付けるアルファに近付いて、私は気になった利き腕の事を尋ねてみた。
「どうして左手なの?」
「え?……ああ。右腕故障してるからな」
故障?
「前の大戦でちょっとミスってから痛くて。こっちに来た時にマッサージとか痛み止めとか貰ったんだけど、そんな簡単に薬使う訳にもいかないし」
小さくため息を付く彼は、銃を箱に閉まってから軽く右腕を撫でた。
利き腕変えるくらいだから、相当痛いのかな。まあ戦争でやった怪我なら有り得るかも知れないけど……。
……マッサージ、か。
「私がやってあげようか」
「……は?」
「私、ちゃんて資格取った救護隊員なんだよ、これでも」
「……お前が?」
「うん、荒治療しそうってよく言われる……でも患者さんに文句言われたことないから」
「……」
疑惑の目を向けるアルファの前に黙って座り込む。
勝手に上着を剥いで腕を捲らせ、私はマッサージ体勢に入った。
「痛ッ……!?ちょ、痛っ、え、ぐぁ……整形されっ……!」
無視無視。大丈夫、多少痛くても平気。そう先生が言ってた。……気がする。
「……どう?」
一応できるだけのことをして、腕を解放する。そんなげっそりした顔しないでよ。
「あー……確かに、少しは軽くなった、気がする」
「でしょう?また痛くなったら言ってね」
「……痛いのは嫌だ……」
「わがまま言わないの」
 アルファは銃の箱のふたを閉めると、よいしょとそれを持って立ち上がった。
「しゃーない、じゃあ一応礼として、俺の秘密を教えてやる。他人にバラしたら殺されるぞ」
「何その重い秘密……」
「国家秘密だから」
……は?いいの?そんなのバラして!?

「この国の上層部は、俺を無理やりこっちに連れてきたんだよ」
慌てる私なんか無視して、アルファは射撃場へ続く階段の方を向いた。
それからちらりと振り返り
「俺が、200機落としの狙撃手だからな」
にや、と嫌味な笑みを浮かべた。
……え?
……嘘、死んだはずじゃ……聞き間違い?
でも……今の華麗な狙撃も、それなら納得いく……。
私は階段を登っていくアルファの背中を、呆然と見詰めた。
何故か嬉しかった。
自分だけが知る、アルファの秘密。
私の仕事相手が、憧れの英雄であるということ。
それだけで私は、人気者を独占したような、そんな優越感を感じていた。



だけど、彼の秘密を知る事が必ずしも優越感だけを齎す訳ではないようで。



歴史に残るだろうある日。
突然鳴り響いたサイレンに、慌てて仕事を中断する。
ざわめく基地内で航空服のアルファを見つけて、私は駆け寄った。
「アルファ!ねぇ、今のサイレン何?航空服って、まさか……」
「それを伝えに来た。――おい、お前ら!」
パン!とアルファが手を叩くと、一気に場がしんとなる。
なんというか、さすがだ。
いや、そんなとこに感心してる場合じゃない。いつもは軍服を着崩しているアルファがばっちり航空服ということは……。
「大統領が多国籍軍への参加を決定した。出撃用意だ」
やっぱり……!
しかし皆さすが軍人で、そこで慌てる事無く、それぞれの役目を果たすべく準備を始める。
私も救護隊員の召集がかかり次第、動けるようにしておかないと。
それにしても、まさか本当に戦争になっちゃうとは……。前々から治安は悪かったんだけど、ついに軍事制裁ですか……。
「アルファ、頑張れ」
この場から去ろうとするアルファに、そう投げかける。
「ん」
こつんと当たった右の拳の感覚が、どうも手に残った。
 その時。
『救護隊員に連絡――至急救護本部に――』
ほら来た。招集だ。
放送を聞いて、私は走り出した。



戦争はこちらの圧倒的有利だった。
私は戦争が始まると、救護として基地や野戦病院で働く。さすがに野戦病院といえど環境は昔よりはるかに改善されていて、麻酔なし手術なんてことはやらないけど、毎日が血まみれの仕事だ。
……いや。前線の軍人さんはもっと血まみれなんだ。私がこんな事言っちゃいけないね。
だけど、今日は休みを貰っている。本当は休んでる場合じゃないんだけど……。
昨日のアレは、刺激が強すぎたんだ……。
ベッドで眠るアルファを見つめる。
その左手は、肘より下がない。
昨日の早くだ。ヘリコプター部隊に連れられて、血まみれのアルファが救護の元へ運ばれてきたのは。
 その時点でアルファはもう120機近くを落としていて、最初にアルファが運ばれてきたと聞いた時は思わず「あいつが?」と聞き返してしまった。聞くところ絶好調のアルファになにがあったのかと。
大怪我だった。左腕の肘より下は、もう使い物にならなくなっていた。
アルファ自身は辛うじて意識は保っていて、けれど見たことないくらい感情が抜け落ちた表情をしていた。
もともと表情は豊かじゃなかったけど、これは無表情を通り越して、もはや……死んでるみたいだ。私はそう思って見ていた。
左腕切断と聞いた時、アルファはとても思いつめた顔をした。彼は左で銃を操っていたのだから、当たり前だろう。
けれど、切断しようとしまいと使い物にならないことに変わりはない。彼は切断を了承した。
そのままアルファは本部に送られ、私もついて行ったのだけれど。
麻酔を打たれ、手術が行われ、見事成功した、そこまでは良かった。
けれど、手術が終わって、まだ血の止まらない、赤く染まった包帯の左腕を見た瞬間、 彼はヒステリーを起したように叫びだした。
「か……み、さま……っぁあぁぁぁあぁあああぁあぁぁあぁ!!」
その場の全員が行動を止める、悲痛な叫びだった。
「どうしてっ……俺は、そんな悪いことしましたか?神様は、救ってくれる人じゃないんですか?俺は救いようがないほど悪いことをしましたか!?」
普段のアルファからは考えられないその絶叫に、皆しんと静まり返る。
でも戦場では、片腕が無くなるなどよく聞く話だし想定はしていたはずだ。それは、アルファだってわかっている筈だ。しかも、アルファは調子が悪いとは言えまだ利き腕が残っている。
けれど次の一言が、私はどこかつっかかった。
「これじゃ……あいつらを、撃つこともできない……」
……あいつら?

周りの皆は、相手国のことだと思ったかもしれない。けれどその時私の頭に浮かんだのは、もっと違うことだった。
単なる一介の兵士が、敵国にそこまで執着するとも思えない。
別の誰か、と思った時、初日に覚えたあの違和感を思い出した。
あの睨む視線と、少し攻撃的な口調。
思い返すと、まだ不自然な点はあった。
自分が200機落としだと言った直前、彼は「連れてこられた」と言っていた気がする。
それにあの話が本当なら、彼が死んだという嘘のニュースは、何故流れたのか……。
もしかして、彼は、母国にいた所を、死んだ事にして連れてこられたのではないか?
 私の中に、そんな仮説が出来上がった。
隣に立っていた航空部隊の人に、小声で「アルファ、変わったことありましたか?」と尋ねる。
 その返答は「ああ……変わってましたよ。狙撃は本当に流石としか言いようがないのですが、戦い方が危険というか、捨て身というか」というものだった。
捨て身……か。
 錯乱するアルファを、その場の全員が呆然と見つめていた。
 誰も、彼に何が起こったのか分かっていないのだ。
 私はしゃがみこんで、アルファを覗き込んだ。
「……アルファ、落ち着いて」
「俺……、生きてなきゃ駄目かな。生きてなきゃ……生きてないと、生きて……」
「アルファ、いいよ。幸せな場所へ連れて行くから、目を閉じて。じっとしてるんだよ、ちょっと痛いけど……」
私が救護バックから取り出したのは、一本の注射器。
 このまま放置する訳にもいかない。沈静剤を打って彼の部屋に運んだ方がいいだろう。
 それに……まぁ、現実見てるよりは、意識飛ばしちゃった方がアルファも楽かも知れないし……。
注射器に強めの鎮静剤を入れて、私はアルファの白い腕に刺した。
――そして、今日に至る訳だ。
記憶が臨場感たっぷりすぎて自分でも今アルファの部屋なんだって忘れてた。
憧れの人のあんな姿は、皆信じられなかっただろう。
でも私には、それすら気にしないほど興味深いことが見えている。
鎮静剤で眠るアルファは、時々苦しそうに呻いたりするものの、案外安らかな顔をしている。
昨日から付きっきりで様子を見てる訳だけど、薬が切れるまでは大丈夫そうだ。
暇になった私は、アルファの部屋を見回した。
ん?あれは……ノート?
机の上に、何冊も積んである。
近づいてみると、表紙には大きく日付が書いてあった。
……なんだろう、これ。
 題名部分は恐らく彼の母国語で書かれていて、私には読めない。
積んであるノートから適当に一つ抜き取って、開いてみた。
日記……かな?
へぇ、あいつマメなとこあるんだ……。
内容は大して読まずに進んでいくと、急に図が出てきた。
数学の図式の様でもない。飛行機が描いてあったりした。
……ん?この年って、前の大戦の真っ只中のはず……あ、もしかしてこれ、全部戦略!?
こんなに何パターンも……?そりゃ、強い訳だ。自分で考えてるんだから。言われた命令に従うだけの普通の兵士とは違う。
じゃあもしかして、と一番新しいノートを探し出す。
それは他のノートより小さいポケットサイズで、出撃先での手記のようだった。
そこにも、図形と矢印と文字が書き込まれ、連携までしっかりかかれている。
……真面目なんだ。天才だと思ってたけど、半端ない努力家なんだ……。
手記は途中で終わっていた。日付は、つい5日ほど前。
しかしそのページは、他のページからは考えられないほど汚かった。
走り書きの文字はノートの線なんか無視していて、ぱっと見でもスペルミスが目立つ。
暇だし、と私はそのページの解読に取りかかった。
文字は汚いけど、それでもブロック体は崩れていなかった。だけど、とにかくスペルミスが多い。意味が通じない所が多々あって、たった十数行の文章の解読に1時間も2時間も掛かった。
それだけじゃない。
解読して現れた文章は、あまりどころか全然、気持ち良くなかった。
むしろ知りたくなかった。
解読する価値はあった、かもしれないけど、こんなこと、知りたくなかった――。
『希亜が死んだ。
雪で体力を奪われてた俺を庇った。
けど、あれは絶対、希亜がそうすることを見越して撃ってきたんだ。
希亜を撃った弾はAF305の刻印があった。
俺を味方が殺す必要性はどこにもない。
だけど希亜なら、俺の帰る場所を潰すことに使える。
あれは今朝出動した潜入隊だ。敵国の軍服を着ていた。
俺をこっちに連れてくる時、あいつは、俺が行けば希亜には手を出さないって言ったのに。
騙されたんだ。
俺、なんで生きるんだろう。
あのまま衰弱死すれば、同じ場所に行けたのに』
 AF305は、私達の基地で独自生産している銃弾の名前だ。持っているのは確かに、私達だけの筈。
 そういえば、アルファは雪原に差し掛かったとこで燃料が切れて不時着したって、航空部隊の人が言ってたような気がする。凍傷の様子はなかったからスルーしてたけど……。
 それにキアって、どこかで……そうだ。キアって、200機落としのパイロットだ……。
200機落としをしたのは、銀風と名付けられた複座戦闘機だった。だから、パイロットと狙撃手がいる。
狙撃手がアルファ。そして、パイロットが――確か、キア。彼は、アルファの目の前で、味方の手によって、本当に死んだんだ。
今回は、デマなんかじゃない。目撃者がいるんだから。
それなら全て説明が付く。彼の捨て身な戦い方は、あわよくば本当に死のうと思っていたんだろう。そして、母国の戦友を失い、左腕を失って、一人の人間としても銃士としても居場所を失った彼は、生きる意味を見いだせなくなってしまったんだ。
だけど……。
これを見ると、まだ死ぬなんて早い気がするんだ。
「この戦略立てる能力は、素敵だよ」
それだけだって、彼の存在価値はある。
「……ううん、違う」
私の呟きに、思わぬ返答があった。
「アルファ?起きてたの?」
振り返ると、アルファが寝たままこちらを見ていた。
 いつから起きてたんだろう。でも手記を見ていたのは確実にバレただろうな。
 「アルファ、死なないでよ。あんたはまだ……」
「君もそういうのか」
アルファは瞳を閉じて首を振る。
「俺は、俺基準の戦略しか立てられない」
「……つまり、自分以外の人は力不足だと」
クレー射撃のハイスコア更新してから言えって話だ。……だけど、今の俺じゃ、射撃も操縦もできない」
確かにクレー射撃のハイスコアは未だ誰も破っていない。その記録保持者になら、一見高慢な台詞も許される。
そしてだからこそ、失ったときのダメージは大きい。
「クソジジイもよく言う。君が死んだら困るんだって。……この俺を裏切っておいて」
瞳に映るのは、怒りだけ。
クソジジイっていうのはたぶん、初日にいたお偉いさんだろう。確か金髪でオールバックだった気がする。
「誰も死ねって言ってくれねーのか、心配してるフリだけしといて」
私は何も言えなかった。
アルファが辛いと分かっていても、私は、格好いい銃撃の大天才、そして軍人なら誰もが憧れる英雄を前にして、死ねとは言えなかった。



その後アルファは、作戦担当に回ってみたり、潜水艦に乗ってみたり、色々したけれど、射撃場の前を通る時一瞬顔を歪めているのを何度も見た。つまり心の傷は回復してないってことだ。
みんな彼に会う度に励ました。けれどそれは「大丈夫だよ」とか「元気だして」とか、そんなあやふやなものでしかなくて、彼の心の傷を癒やすことは出来なかった。
私も私で、彼に対し何も出来ていない。
薬や食事を届けたり、日常生活を手伝ったりして、他愛もない話をして終わりだ。
時々彼は、キアの話もしてくれた。その節々から、キアのことが大切だったんだなと凄く伝わってくる。
 そうやって、なんとなく日々が過ぎた。
ある時。痛み止めを届けに彼の部屋に行くと、珍しく彼は眠っていた。
いつも私が訪ねると起きていたから、なんだか違和感がある。
けれどその原因は、すぐに私の目に飛び込んできた。
サイドテーブルには、ガラスのコップと大量の錠剤の殻。
薬の名前からしてこれは、睡眠導入剤精神安定剤だ。
これ……こないだ私が届けたやつだ。
こんなに短期で一気に飲んだら、アルファ、死んじゃうよ……!!
「……あれ、ミカエル。来てたの」
「ちょ、ちょっと、あんたこれ……」
「ああそれ?最近寝付けないんだよね」
さらりと彼は真顔で言う。もしかして、これ、わざと……。
 前は、「薬を多用する訳にもいかない」って言ってたのに……。
自殺が赦されないから、こっそりと……?
……あれ、不思議だな。
前はこんなこと思わなかったのに。
無性に腹が立つ。
華麗な銃士を、憧れの「200機落とし」を、こんなにも穢したのは、誰だ。
彼は何も悪くない。
なのに、彼は全てを奪われて、自殺願望の塊と慣れ果てた。
唖然とするような銃捌きを見せつけて得意げに笑う彼は、もうどこにもいない。
誰だ。
彼を、アルファを、こんな風にしたのは。
彼を無理やり奪って、彼を失いたくない一心で彼の大切なものを次々と壊し、追い込み、最後には彼をも壊してしまったのは。
 いや、もう明白だ。
犯人は……。


この、国だ。


それはあまりにも大きすぎて、私にどうにか出来るものではなかった。


「アルファ」
私は呟くように言う。彼の死んだような瞳が此方を向いた。
 私はあんたになにもしてあげられないから、せめてあんたが一番欲しいものをあげよう。
 それで私がどうなろうとも、私の憧れた人に全てを捧げる覚悟はできてる。
 あんたは私に、それだけの感動をくれた。
 「死んでいいよ」
絞り出した私の声に、アルファは目を見開く。
「誰が許さなくても、私が許可する。私があんたを弔う。だから、死んでいいよ」
あんたの戦友に、キアに、会いに行っていいよ。
最期くらい、幸せになってよ。
「ミカエル……」
彼は驚いた顔でそう呟き、それから瞳に涙を湛えて
「ありがと」
そう、笑った。
……っ。
あーあ、馬鹿みたいだ。
ずっと憧れてたのは確かだけど。
死にゆく男に恋したって、虚しいだけなのに、さ。



翌日彼は、河原で遺体で見つかった。
横には彼の愛用の銃が落ちていたという。
死亡推定時間は午前3時半ごろ。
星の綺麗な夜だった。



それから暫く、彼のことはニュースになった。
原因不明の自殺。そんな死に方は、彼の英雄化にさらに拍車をかけた。
ネットでは真実に近い憶測も飛び交ってるけど、そもそもキアが死んだこと自体がうやむやにされているようだ。
そんなある日、私の元に手紙が届いた。
送り主のわからない真っ白な封筒。
慎重に開くと、中から一枚、真っ白な便箋が出てきた。
『ミカエルへ
今までたくさん迷惑をかけました
本当にありがとう


願わくば、クレー射撃のハイスコアが更新されないことを』
最後には、「α」の文字と彼の本名。
それは、死ぬ間際、一瞬元に戻った彼の遺言だろう。
 彼らしい冗談を残して。
ああ、やっぱり、そこに私はいたんだ。
歴史的な英雄の、その横に。
誰もが憧れ、私も例外なく憧れ、そして垣間見る思いがけない一面に憧れ以上の感情を抱いた、その人の横に。
真っ白な便箋の、手記で見慣れた文字の上に、ぱたぱたと雫が落ちた。